西暦2020年になると、団塊の世代は軒並み70代になる。
そのころから、彼等は(私も含めてだが)次々に死んで行くことになる。
言い換えると、毎日どこかで葬式が行われるということになる。
葬儀は結婚式と違って、たいてい人が普通に住む場所で目立つように行われるから、街がどんどん暗い色彩を帯びるようになるかもしれない。
それとも、その頃は葬儀はもっと簡素化され、目立たないところで密葬されるようになる可能性もないではない。
いずれにせよ、葬儀関係のビジネスはこれからが本番ということになる。
きっと葬儀のやり方もがらっと変わるだろう。
何しろ、団塊の世代が結婚する世代になってから、結婚式は派手になり、新婚旅行も海外が当たり前になったりした。
団塊の世代って、ある意味、いつも時代の中心に居たような気がする。
教育ビジネスが盛んになったのも、彼等がそういう世代になったからであり、予備校なんかも様変わりした。
河合塾、代々木ゼミナールなどが典型だろう。
それまでは、東京では駿台予備校などがメインであったし、関西ではYMCAがもてはやされたりしていた。
今や、そんな名前はめったに聞かなくなってしまったが。
働き盛りの頃にはバブル絶頂、定年が近づく頃にはとんでもないデフレ。
団塊の世代とともに、時代は春夏秋冬を迎えている気がしないでもない。
さて、2020年。
世の中は老人で一杯になる。
団塊の世代だけでも1000万人は存在する。
街は葬儀と車椅子と杖で一杯になるかもしれない。
それでも、団塊の世代はのさばっていることだろう。
一体、どんな風潮をこんどは作り出していくのだろうか。
介護ビジネスもきっと様変わりだろうし、住宅も今迄のような孤立した形では存在しなくなるかもしれない。
勝手な団塊の世代は、人と人のつきあいを復活させるかもしれない。
あるいは、もっと管理された老人生活というものが語られるようになるかもしれない。
最近、自分が年とったらどうなるかを考えるようになっている。
最低限の生活は年金で得られるだろう。
それ以上の保護もきっと人間関係を濃密にすることによって得られるようになっているかもしれない。
今のままの制度で進むとはとても思えない。
団塊の世代は、わがままで勝手である。
そこにどんな老人の街が生まれるのか、私にはちょっとイメージできない。
少なくとも、今とは違う何かがあるはず。
さて、それは何なのだろうか。
団塊=老人ビジネスのスタートは2010年以降だろう、今老人問題と呼ばれているものは消えて行き、その頃には全く別のものがその場所を占めることになる、さて、そこにあるのはバラ色の人生か、最悪の日々か、安部邦雄