プロデューサーって、何のためにいるのか、わかります?
実際わかったような、わからないようなというのが普通の人の反応ではないだろうか。
ミュージカル「赤毛のアン?アン・シャーリー物語」をプロデュースした時に、一体私は何をしていたのか。
結局、作業的には外側を担当していたというイメージが強い。
現場的には、制作とか演出家とかキャスティングとか舞台監督とか衣装とか美術とか音楽担当などを決めたりするわけだが、一度決まってしまうと実際のところ、あまり現場には口出ししない。
現場を守る立場に徹するというか、外からの雑音をシャットアウトすることに専念する。
もちろん、報道とか宣伝とかはプロデューサーがいないと対応出来ないが、一度形を作ったら、その中のことは現場の職人とかプロに任せるというのが基本になる。
たまに稽古場にいったり、写真撮影につきあったり、キャストの苦情などを替わりに聞いてあげたりするが、その場に絶対に必要なスタッフではない。
正直、プロデューサーはプロジェクトがスタートすると、やることがないのである。
じゃ、知らん顔していればいいか、というと、そんなことをすると、プロデューサーが全然来ないと陰で言われるに決っている。
たまには、現場に顔だして、スタッフを飲みに連れて行け、というのが彼等の本音なのである。
口は出さなくていいから、金だけ出してというノリなのだ。
もちろん、彼等がプロデューサーをないがしろにしているのではない。
変な対応したら、次からは使ってもらえないという危機意識はある。
ただ、仕事をしている時は、邪魔されたくないし、邪魔するようなプロデューサーは後々評判が悪くなって、あまり相手にされなくなるのも事実。
もやもやしながら、現場につかず離れずがプロデューサーの居場所なのである。
放送の現場もそう。
ディレクターにいちいち文句をつけるプロデューサーもいるが、そんなことをしていたらいい番組はできない。
少々不満があっても、ディレクターに現場で文句を言うようなプロデューサーは最低である。
文句をいうなら、事前に言え。
現場で部下をこきつかうみたいに、ディレクターに指示してはいけない。
ただ、悲しいかな、制作会社のディレクター(いわゆる下請けディレクター)は、プロデューサーの顔色ばかり見て仕事をする傾向がなきにしもあらず。
プロデューサー絶対、という教育が会社の中でされているのかもしれない。
言われたことをやって、それで制作費をいただく。
自分から変な提案をしたら、会社としてはその分直接制作費が増えて、利益が落ちかねないから、なるべき言われた通りにしていろということだろう。
制作会社の仕事って、どうしてもクリエイティブでなくなるのは、こういう構造があるからではないか。
物言えば唇寒し、という気持ちなのだろう。
放送局側も、そういう現場のニーズにこたえて制作費をアップさせるなんてことをするわけないし。
あ、私だったら、何らかの形でそうしますよ。
ただ、残念ながら制作会社のディレクターって、本当に保守的。
羹に懲りて膾を吹くような状態になれすぎている。
結局、フリーのディレクターに希望を見い出すしかなくなるわけだが、最近はあまり有望なやつが業界に入って来なくなった。
最近ラジオ番組のプロデュースを私がしなくなったのも、そういう原因があるのかもしれない。
でもねえ・・・。
今日で1月も終り、2003年になって毎日がやたらせわしない、会議が続いたり、ややこしい書類を作成したり、この欄を書くのも四苦八苦の苦しみ、つまり煩悩百八つ(四九+八九=百八)なわけですね、安部邦雄