昨日も書いた話だが、人間、客観的に物事を把握しようと思えば、当事者にならない方がいいようだ。
第三者という言葉があるが、早い話第一者や第二者になると問題の捉え方も偏狭になるし、問題解決のためのバランス感覚も失うと思うのだ。
当事者になればなるほど、自分を見失う。
最近、そんな気がして仕方がない。
ある会社がある。
最近、何億の赤字を出し、立て直そうとバタバタしている。
来年度は何がなんでも黒字にしろ、と社長の大号令。
しかし、社員は総じて冷ややか。
よくある光景である。
社員は結局、当事者にはなりたくないのである。
当事者になったら、自分を失いかねない。
いや、かえって損をする。
だから、なるべく静かにして、嵐の通り過ぎるのを待つのだ。
当事者にならないために、評論家を装おう。
客観的にものごと把握するフリをしていたら、決して当事者にならなくていい。
当事者になったら、大変なのは誰もが経験的に知っている。
学校の授業で言えば、当てられたくないという心理である。
子供の頃は、当事者になることの不利を経験的に知らない。
みんな、馬鹿みたいに手をあげて、自分を主張する。
しかし、そのうち、このような自己主張はいつか自分を破滅に導きかねないことを友達社会の中から身につける。
まわりを窺い、自分が損な役回りにならないよう注意する。
当事者になれば、結局、まわりの連中にいいように利用されるだけになるということを知りはじめる。
寄らば大樹の陰、長いものには巻かれろ、沈黙は金、雄弁は銀。
最近、私はずっと、この当事者の役回りをしている。
だから、自分を客観的に見るのが難しい。
バランス感覚を保つのが難しい。
もし、この更新欄がややパワーダウンしているとしたら、それは私がなかなか第三者の役割になれなかったことに起因しているのだと思う。
坂を転がり落ちる石。
後は、ただ落ちることに身を任せるしか、選択はないのだ。
自分の再構築、つまりリストラが必要なんだと思う、会社で優等生づらしてリストラを考えている貴方、まず自分をリストラしてから全体を考え直した方がいい、何故なら、その過った会社の構造に貴方が組み込まれていることも事実なのだから、安部邦雄