今日の東京新聞に「耐乏Press Japan」というホームページを開いた若者(28)の記事が出ていた。
早い話が、貧乏生活を語るサイトだ。
何とこの彼、バイトで稼いだ8万円で毎月生活しているという。
田舎に住んでいるので、それほど生活費もかからないという。
そうか、8万円もあれば何とか暮らしていけるのか、とちょっと納得した。
とはいえ、今日はそれに感心したことが主題ではない。
実は、このサイトを見た出版社がこれは本になると察知し、貧乏生活実践法というコンセプトで出版までこぎつけたというのだ。
何と2万部を今は越えているらしい。
何だ、2万部も売れりゃ、もう毎月8万円の貧乏生活じゃないじゃん、と思った次第。
ホームページって、出版社が興味を持ちそうな表題をつけて開いておけば、簡単に商売になりそうな気がする。
もちろん、開いたら直ぐに、というわけではない。
最低、1?2年ぐらいは、続けないといけない。
質も落としてはいけない。
いや、段々面白くなった方がイイに決まっている。
つまり、途中で作るのが飽きるようなホームページでは、エントリーすらできない、というわけだ。
じゃ、私のこの欄はどうか。
まず可能性はない。
何故なら、話のコンセプトが一定していない。
つまり、読者対象がはっきりしていないからだ。
この欄はひとことで言うと、フロムスリーのホームページはいつも新鮮であることのアピールのためにあるのだ。
毎日更新している、それは誰もが簡単にできることではない。
それを承知していて、何が何でも毎日書いてやるという意地でもあるのだ。
だから、時々面白いことも書くし、鋭いことも書くが、全体としてまとまっているわけではない。
また、何かの拍子にまとめてほしいとリクエストがあっても、私には対応出来ないだろうと思う。
segawaxがいみじくも言ったが、これは安部さんの単なるメモ、走り書きの類だということ。
まとまっていなくても、取りあえず書き込む、中味があろうとなかろうと、正しかろうと間違っていようと、その時に思ったことをメモる。
それがこの欄だと。
だからかもしれないが、私は昔この欄に書き込んだことなど、ほとんど覚えていない。
貧乏な若者が書いた「貧乏生活実践法」には読者への訴求力があるが、この欄には、そういった読者への訴求力はない。
もちろん、もう少し論点を集中させれば訴求力が出てくることは間違いないが、それだと私の精神的負担が増してしまう。
「コミュニティFM実践講座」みたいなものは、是非書いてみたいとは思っているが、この欄のように書きなぐるわけにはいかない。
「インターネット私見」を、もう少し整理して、「インターネット生活のすすめ」とでも題して出版することも考えられるのだが、そこまで完璧に自分の中で消化されたわけでもない。
というか、インターネットって、色んな人が概論的に書いているが、ほとんどが事実を直線的に並べているだけ。
人間の意識というか、脳細胞の構造がからめられていないインターネット論なんて、私はインチキだと思っている。
脳細胞の構造?
そう、インターネットを解きあかす為には避けては通れない関門なのである。
残念ながら、私もそれらを完全に把握できてはいない。
本にするなんて、とてもとても。
コミュニティFM論は、今でもそこそこかける気もするが、実例をもう少し調査しないと、どこから反論が飛んでくるかもわからない。
だから、今はどちらも書けない。
でも、ホームページから本の出版に結びつくことって、これからもあるはずだ。
何しろ、大衆がどんどんインターネットに参加して来つつあるのだ。
今、インターネットに起きていることに対する興味が読者にないはずはない。
貧乏生活実践法が2万部を超えるのだ。
まだまだ二匹目のドジョウはいくらでもいると私は思うのだが。
今日の更新は軽く流しました、金曜日でVDという大事な日なのに、こんな時間も会社で仕事、晩ごはんも食べていないし、ちょっと情けない、もらった饅頭とお茶を飲み腹の足しにしている、安部邦雄