今日、大江戸線の地下鉄に乗りながら思った。
六本木の駅で地下鉄事故にあったら、まず助からないのではないかと。
何しろ、ビルにして13階分ぐらいの地下に駅がある。
北朝鮮の核攻撃には強いかもしれないが、下からいぶり出されたらたまったものではなかろう。
上の防御をしていたら、下はがら空きという感じかな。
でも、私って、普段から自分の防御にはうるさいのだ。
ゴルゴ13が絶対に壁を後ろにして立つように、私もなるべく後ろから狙われるような場所を避けるという習慣が身についている。(とはいえ、最近は年のせいかよく忘れるが)
30年ぐらい前は、これを革命的警戒心と呼んだ。
何が革命的かは今となってはよくわからん。
地下鉄というか、電車に乗ると、網棚に不審なものがあれば、絶対その場から離れるし、袋類には滅多なことでは触ったりしない。
オウムの連中がサリンをまいて大騒動を起こしたが、そういうことなどありえないとは未だかって思ったことはない。
大体、挙動で変な奴だとわかる。
私なら、きっとそんな奴がいれば、その車両を後にするだろう。
牛ぎゅう詰めで動けないならいざしらず。
とにかく、私はどこから人が襲ってくるかわからないという気持ちで毎日を生きている。
プラットフォームで後ろから押されて線路に落ちるような場所にはまず立たない。
電車が滑り込んで来た時には、前よりも後ろを警戒する。
世の中、何が起こるかわからない。
何があっても大丈夫なように日頃から警戒するのは当然のことだ。
家のそばに見なれない車が止まっている時には、絶対にナンバープレートをチェックする。
人が乗っていれば、人相も見ておく。
都会に生きるものとして、それぐらいはしておかないと心配でならない。
地下鉄事故に遭遇した人は本当に気の毒だけど、日頃から警戒心を持っていた方がいいのは事実だ。
それと周りの人に同調していれば安心というのも、正しいと言えるかどうか。
誰かの判断ミスで死ぬことほど馬鹿馬鹿しいことはない。
死んでも死にきれないと言うのはこういうのを指すのだろうな。
でも、明日は我が身と思いながら生きないと後悔しそうだ、この年になって水疱瘡にならないとも限らないし、癌でいきなり入院ということもありえないことではない、そろそろ花粉症になりそうな気もしないでもないしなあ、安部邦雄