浜田山の駅前にあったカレー屋さんに、一身上の都合により閉店させていただきますという貼り紙が出ていた。
たくさんのお客さんに来てもらって、とても楽しく商売ができて嬉しかったとも書いてあった。
でも何となくわかる。
結局、商売を続けて行くほどの売上がなかったのだろう。
常連と言っても、前は3日に一回だったのが、最近は一週間に一回に減っていたりする。
もっと安い店は他にもあるし、コンビニの弁当ですましてしまおうと思うことも多いだろう。
今は食べ物商売、本当に大変だ。
消費者は、とりわけ食費を切り詰めるという行動パターンになっているのは事実だ。
そういえば、カレー屋さんから50メートルほど離れたところにあったレストラン風の喫茶店も先日店を閉めた。
こちらは30年以上続いた店のようだが、主人も年をとり、商売を続ける意欲もなくなったらしい。
喫茶店は、有名なチェーン店以外続けるのは無理かもしれない。
オヤジが趣味を兼ねて喫茶店を開くという時代ではなくなって来た。
私の実家は、御存じの通り質屋だった。
親父が年をとり、質屋という商売も斜陽の一途だったので、10年ほどまえ店をたたんだ。
幸い、店が自分の持ち物だったので、賃貸料がいらなかった分長く続けることができたが、それでも最後の方は毎年大赤字だったと記憶する。(年の売上が200万円もなかった)
無理しても利益が出ない、むしろ維持費ばかりかさむのでは、年をとっても商売を続けるという気にはならなかったのだろう。
商店街で店を閉めるところは、最近こういうタイプが多いようだ。
前なら、どこかの店が閉まっても、すぐに新しい店がオープンした。
しかし、今はしばらく借り手が見つからず、ほったらかしという例が多いという。
東京はまだマシかもしれない。
地方へ行くと、店主が年老いて、シャッターしまったままという店が目につく。
そうそう、私の実家も店構えはそのままで、ただ朽ちて行くままに放置されている。
農村に行けば、これが荒れ果てたままの田圃ということになるのだろうか。
家業が世襲されないことが当たり前になった現代、そんな時代が今迄あったのだろうか。
これも神の壮大な実験の一つなのだろうか。
カレー屋さんの前は、しゃぶしゃぶ屋さんだった、とても美味しい店で、金回りの良い時はよく行った、でもバブルがはじけるとちょっと足が遠のき、やがて閉店することになった、デフレ期の社会現象として、覚えておかないといけないことだ、安部邦雄