最近CURE-TOWN構想というのを考えついた。
CURE-TOWNというのは、癒しの街づくりとでも言おうか。
新しい都市設計思想として提起している構想である。
最近はスローライフという生き方が話題になったりしているが、CURE-TOWNも流れる思想としては同じようなものである。
もう一つの要素としては、環境に何かをプラスするのではなく、不快なものをマイナスすることによって、癒し空間を作ろうということ。
今迄は、街づくりの要望として何かをプラスすることばかりがなされて来た。
図書館を作る、道路を作る、ショッピングセンターを作る。
新しい施設を作ることによって、快適な生活が保証されるという考え方だった。
私は、そういう何かを生活にプラスすることによって快適さを求めるのは、少し控えようという提案をしたいのである。
都市空間というのは、何かを新たにプラスすればするほど、ストレスが高まるような気がしてならないのだ。
だから、そのストレスを消す為に、また違った施設やサービスを求める。
そうすると、そのプラスされたものによって、又新規にストレスが発生する。
いたちごっこではないか。
で、田舎(都市の反対語として)のことを考えてみよう。
田舎は基本的に不便である。
都市が住民に与えるサービスと同等のものがないからである。
しかし、田舎には、そこにいるだけで癒される空間がある。
目を休める緑、清澄な空気、鳥の声、せせらぎの音。
病んだ精神は、本来の生物としての存在に戻ることにより、しばし癒され、不快な気分も消えるというものだ。
この田舎効果というものを都会に持込む為にはどうしたらいいか。
私は、今あるものをマイナスしていけばどうだろう、と思いついた次第だ。
今の街に不快なものとしてあるものを、マイナスして行く、プラスするのは、それらを除去してからで十分ではないかと。
まず、部屋の中を片付けよう。
便利なものを持込むのはその後でいい。
都会から、何をマイナスするのか。
ゴミ、不快な人、悪意、騒音、電信柱、派手な広告。
タバコの自動販売機もそうかも。
街から、不快なものをマイナスしていく。
CURE-TOWN構想はまず、その作業から始めないといけない。
何故いきなりそんなことを思いついたか、結局環境を変えない限り、私達の生存は危ういという危機感からだ、今私がやっている仕事も、その基盤に癒しがなければ成り立たないような気がする、ま、突然すぎて、意味不明と言われかねないが、安部邦雄