3月に入ると、決まって思い出すのが、大学入試。
今は懐かしい思い出だが、二度とやりたくないことの一つでもある。
それでも、私は現役入学できたし、しかも受けた大学は一つだけだから、文句言うと罰があたるかもしれない。
何が一番嫌だったかというと、意味のない暗記をすることだった。
とにかく、覚えられるだけ覚えるという作業を強制されるのがとても不快だったということだ。
機械的に暗記するようなものなんか、意味がなくなれば直ぐに消えてしまうだけだ。
そんなものを覚えるなんて馬鹿なことを何故しないといけないのか。
入学試験なんて、結局どれだけ自分の利益の為に我慢できるかの勝負なのだ。
優秀さを競うわけではない。
大体、エリート大学に入ろうというインセンティブって、どこにあるのだろう。
私の場合は、とにかく月謝の安いところに入りたかったということと、下宿代がもったいないので家から通えるところにしたかったということ。
後は、まわりから少しは評価される大学に行きたかったということぐらいか。
その為に勉強したということである。
目的が限定されているから、私は勉強の効率化を最優先した。
高校2年の途中ぐらい迄は、あまり受験勉強もせず、分けのわからん事に時間を費やしていた。
で、いよいよ受験期が迫るという危機感が出て来てから、勉強開始。
まずは、暗記しないといけないものは、全部無視。
数学、化学の理解しないと前に進めないものばかりを集中的に始めた。
暗記モノなんか、いつでもできる。
第一、暗記なんかしても、大学に通ったら忘れるに決まっている。
それなら、その為に使う時間を理解する時間にまわそう。
英文を読み、古典を読み、漢文を読み、世界史関連の漫画を読む。
これらは、読めば読むほど経験値が上がる。
理解するのに一番良い方法は、その世界に慣れるということである。
繰り返し読んでいると、参考書に言われなくとも法則が見えてくるものだ。
個々の言葉の意味等後回しでいい。
雰囲気だけつかめば、最初はそれでいいのだ。
これ、仕事のスタンスでも十分使えることだ。
習うより慣れろ、卑近に言うとそういうことだ。
暗記を始めたのは、試験の6ヶ月ぐらい前から。
豆単で英単語を覚えはじめたのもそれぐらいから。
世界史、地理の暗記項目もそこから凄いスピードで覚えて言った。
つまり、暗記力なんて、単なる瞬発力なのである。
とりあえず、言葉や記号をキャッシュするようなものなのである。
日本の試験は、そういうキャッシュ項目だけをバカ丁寧に聞いてくる問題が多い。
漢字の読みとか書き取りとかもそうだし、英語のアクセントを問う問題もそう。
暗記しているかいないかを聞く問題は、出題者にとってこれほど点数をつけやすいものはないのだ。
これが小論文だとどうだろう。
読むだけ邪魔くさいと採点者は思わないだろうか。
実は、こういうの社会に出てから採点する立場になってから実感した事なのだ。
暗記モノは答がはっきりしているから楽なのだ。
答がはっきりしていないものに採点するなんて、どれほど労力がいることか。
繰り返すが暗記力は瞬発力なのである。
年をとれば落ちるのは当たり前なのだ。
その人間の価値をきめる能力ではさらさらないと私は思うのだが。
私はどちらかと言うと試験の達人だった、放送局の入社試験の時も「現代用語の基礎知識」を1ヶ月ほど毎日覚えていただけで、簡単に合格した、暗記力を問うような試験なんて何とでもなる、それが私の極意であった、安部邦雄