今日からNHKで「おしん」の再放送が始まるとか。
貧しさの中を耐え抜き、一生を頑張り抜いた「おしん」の一代記である。
頑張ることの大切さを、もう一度再認識してもらいたいと作者が語っていた。(橋田さんのことですが)
で、ちょっと思ってみた。
この作品、1983年に放送されたものだ。
ちょうど団塊の世代が30代の半ば。
必死になって頑張っていた時代だ。
今、頑張れば、この後きっとイイ時代が来るに違いない。
そう思って、毎日を会社のために捧げて来た頃。
窓際族というのも、そろそろ出て来た頃だ。
窓際族になりたくなければ、頑張らないといけない。
「おしん」はそういう意識の団塊族に向かって書かれた作品だったかもしれない。
ちょうど「ジャパン・アズ・NO1」が喧伝されていた頃だ。
日本の経営の方法は、一番効率がいいと評価された。
でもね、結局まだまだ安かった団塊の世代の給料に支えられていただけかもしれない。
30代の給料なんて、今でも大したことはない。
それが死ぬほど働き、自分達の未来を信じて走り続けていたのだ。
世界にナンバーワンだったのは、安い給料で馬車馬のように働く効率のよい団塊の世代ゆえではなかったか。
日本の労働慣行なんて、別に大した貢献もしていなかったかもしれない。(年功序列は、だから逆の意味で貢献していたわけか)
で、今の連中に「おしん」になれと言っても通用するだろうか。
そんな悲惨な状況にいる人々なんか、どこへ探しに行けばいるのだ。
私の子供の頃、失業者の親父もいれば、内職に精出す母親なんて、いくらでもいた。
そうしなければ、飯が食えない。
四畳半の部屋に一家5人が住んでいたなんてのも、現実の話だった。
今さら、当時とは格段にいい生活をしている人々に何を頑張れと言うのだ。
「アリとキリギリス」の童話の教訓でも語るか。
そんなに脳天気に暮らしていると、今に冬が来て食べ物がなくなるよ。
しかしね、団塊の世代は、もうアリのように貯えは終っているんだよ。
自分達は、もはや安全地帯のそばにいるんだ、何があっても大丈夫なんだ。
そんな奴らに「おしん」を見せても、何も感じないだろう。
ノスタルジア以外の何ものもない。
いやあ、おれたちは本当によくやったよな、という連帯意識を呼び覚ますのが落ちだ。
日本は本当に行き詰まっている。
その原因の半分は、私は団塊の世代にあると考える。
大体、老後のことを考えて、保険はこれだけ、年金はこう、なんて秩序を形成したのは団塊の世代だ。
そりゃ、ハングリーなわけない。
貯えをして、それを少しずつ消費して、何とか無理なく生き延びる。
そんな意識に凝り固まっている連中が無駄な消費するわけないじゃないか。
老人が問題なのではなく、団塊の世代が問題なんだと私は思う。
違うかな。
団塊の世代って、本当に罪作りだと思うのだが、どうしてあまり話題にされないのだろう、相変わらず世論を形成する力をこの世代が持ち続けているのかもしれない、悪いのは金を持っている老人?嘘でしょ、安部邦雄