さて、本題に入ろう。
かって私が所属したFM局の、今のコア・コンピタンス(中核能力)は何だろうか。
FM大阪は1970年に開局した。
私はまだ音楽フリークの大学生で、同局の強い支持者であった。
AM局が全く放送してくれないポップスをふんだんに流してくれたし、ごちゃごちゃ喋らないことも好感が持てた。
その当時の一番のお気に入り番組は、何と左時枝さん(女優、左幸子さんの妹)の30分のDJ番組だった。(大阪ローカルだったのが不思議だったが)
74年にFM大阪に入社した時には、既に番組は終了していた。とても残念だった。
次にお気に入りは「COME ON POPS」、川村尚(通称デデ、現川村龍一)の月、火、水ではなく、安達治彦さんの木、金のファンだった。
早い話、Oldiesの日、安達さんは喋るのが好きな人だったので、何となくアットホームな雰囲気でよかったのだ。
安達治彦さんて、まだ活躍されておられるのだろうか?
思いがけなく、思い出話になってしまった。
つまり、開局してから10年ぐらいのFM大阪は、もっぱら音楽フリークを相手にしていた放送局だったということだ。
一番、音楽フリークの世代と言うと、高校生に大学生、そしてヤングサラリーマン、OL層。
スポンサーも当然、その層をターゲットにしたところばかり。
いわゆる若者の為の雑誌感覚があふれたラジオ局であった。
その後、若者達(早い話、団塊の世代)は30代になり、家庭を持ちはじめる。
1980年代のことだ。
世は、ニューファミリー層が主力になりはじめた。
70年代がフォークが主流なら、80年代はニューミュージックが音楽業界の中核を占めはじめる。
FM局もニューファミリーに特化しはじめる。
ついでにトークなども重視しはじめたりした。
音楽だけでは、ニューファミリーを顧客化できなかったということだろう。
90年代、FM局は多極化を始める。
そして、ターゲットが再び音楽ファンへと移りはじめた。
いわゆる団塊の世代の子供(高校?大学)の時代なのである。
再び、音楽が脚光を浴びる。
団塊の子供は、団塊の世代が若者であった頃より遥かに金を持っていた。
それゆえ、音楽へ注ぎ込まれる金は潤沢だった。
ミリオン連発の時代が始まったのである。
そして21世紀、団塊の子供も又、ニューファミリー層へと移行しつつある。
もはや、彼等は音楽業界のターゲットの中核から移行しつつある。
そして、業界がCDが売れないと悲鳴を上げはじめているのが今の時代なのである。
そう、人口分布のばらつきと、早い話今起きている現象が相関しているというのが私の意見なのだ。
FM局のコア・コンピタンス、そう、そこに一つのキーが隠されているのである。(つづく)
私が若い頃は、FM局のコア・コンピタンスは、聴きたい曲をふんだんにリスナーに提供することだった、今はそんな機能をリスナーはFM局に求めていない、安部邦雄