3ヶ月ぶりに大阪に行った。
毎度のことなのだが、朝から晩まで動き回る。
色んな人に会い、今の大阪の状況を聞いてまわる。
誰も、いいことは言わない。
大阪はますます死んでいる、と異口同音に言う。
東京はどうなのと聞くので、ダメなところは大阪と同じようにだめだが、いいところはいい、二極化している面もあると答える。
大阪は、いいところなんか何もないそうだ。
そう言えば、USJは3割減。
大阪の放送局は自社制作率をどんどん減らしているらしい。
神戸のkiss-fmは4月からJFNから番組供給を受け、100%の自社制作率が35%程度になるとか。
情けないと言うか何と言うか。
FM大阪も制作費を大幅にカットするらしい。
貧すりゃ鈍する状況が至る所に垣間見えたりした。
大阪は自分のコア・コンピタンス(又出た!)を失いつつあるのだ。
東京と対抗し、二眼レフとしての己の位置付けに自信を持てなくなっているようなのだ。
大阪にいても、何も産まれない。
もはや、東京に行かなければ新しいことはできない。
そんな強い意思を感じざるをえなかった。
亀のように、己の甲羅に閉じこもるか、己に翼をつけて亀という存在をやめてしまうか、大阪人の選択はそれほど多くはなさそうな気がした。
久しぶりにマーキーに会った。
船場の丼池(どぶいけ)ストリートに、主人のいなくなったビルを借り受け、アメリカ村のようなムーブメントの拠点を築きはじめたらしい。
1階2階はカフェ、3階はスタジオ、4階はギャラリー。
凋落する糸へん産業の象徴、丼池ストリートをもう一度活性化させたいと言う。
当分は、自分の費用を持ち出す、このまま大阪がさびれていくのは許せん!
マーキーの心は熱い。
もう50代になるのに、まだまだ自分を若者サイドに置いている。
しかし、ほとんどの大阪人が、それをとりまいて見ているだけのような感じだ。
成功しそうになったら、のっかろう。
それからでも遅くない、という思惑のようである。
大多数の大阪人はさめている。
ぶつぶつ文句をいいながら、今までの価値観を後生大事に維持しようとしている。
進取の気概はどこへいったのか。
大阪の海は悲しい色やねん さよならをみんな ここに捨てにくるから
大阪湾には、かっての大阪人の熱い心もヘドロのように捨てられ、今日も積もり続けているのかもしれない。
私がずっと大阪にいたとしたら、一体どうなっていただろうかと考えてみる、確かに少しは元気な大阪を演出することができるかもしれないが、結局、蟷螂之斧としてみじめな敗残者になっただけのような気もする、安部邦雄