ある人と久しぶりに会った。
前にあった時も、そこそこ景気のいい話をしてくれたのだが、今回はそれ以上だった。
仕事が順調で、月に一億円の売上があるという。
ちょっとした発想ではじめたことがクリーンヒットになったらしい。
「前は、とにかく新しい業務を発掘しないと、厳しいって言ってたよね。」
「そう、だけどあれからとてもいいことに出会ったわけだ。やはり、やらないといけないと思えば、それだけのものが帰って来る。」
時々、ガハハと笑って、自分の手柄を語る。
苦しいこともあったのだろうが、そんなことはおくびにも出さない。
素直に成功を喜んであげながら、でも、これからも本当に大丈夫?と心配になるくらいだった。
金ができた彼は、毎晩飲み歩いているという。
もちろん、お得意さんをつれて、ひとり10万円もする高級キャバクラで豪遊するそうだ。
「ところがなあ、そんなキャバクラのくせに、いつも満員なんだよ。不景気、不景気と言っているのに、一体こいつらどこで稼いでいるんだと思うよ。」
こんな時代にも勝ち組はいるのだ。
彼は一晩で30万使うのはざらだと言う。
そういう客で一杯の店も、世の中のどこかにあるというわけだ。
バブルの頃は、そんな店があちこちにあったので目立ったが、今は、目立たないだけで、相変わらず街のどこかで繁盛しているのだという。
湯水のように金を使うことで、日本の経済は明らかにうるおった。
デフレを克服するために、景気をよくするために、政府が言えるのはそういうことだろう。
国民よ、湯水のように金を使え。
我慢するのでなく、始末するのでなく、貯金するのでなく、未来のために積み立てるのでなく。
国民よ、金を使え。そのために減税しろというなら、いくらでもしよう。
家にあるものを現金に変え、どんどん使え。
金を家と社会の間でぐるぐる回転させよ。
金を持ったら、すぐ使え。
投資しろ。
未来を心配するのは、その後で考えればよいのだ。
ホントかな?
少なくとも、私はそんな金の使い方はできない。
バブルの時も、そんな金の使い方はしなかった。
月1億円稼いだ男が毎晩30万円使う。
確かに、そうすれば景気が少しずつでもよくなるのかもしれない。
彼のおこぼれを私が頂戴し、その金を私も、毎晩人を連れて飲み歩けば、さらに景気もよくなるかもしれない。
しかし、私はもうそんなことをして楽しい年ではなくなっている。
そう、狂乱して金を使うことは、もう団塊の世代には無理なのだ。
やはり、ここでも団塊の世代の高齢化がネックとなるのだ。
最近、病院への見舞いが増えたように、私のまわりはどんどん体力を失っていくだろう。
医療費を無闇に使えば、景気は回復するのだろうか。
介護保険の徴集をもっと広範囲にするのも手かもしれない。
やけくそで国もいってみたらどうだろう。
国民よ、どんどん医者に行け。どんどん医療費を使え。
う?ん、やっぱりどうなんでしょう?
二日続けて景気のいい人の話をした、つまり、私はそういった金を持っていそうな人に日参しているというわけ、貧乏人とばかり会っていると、貧乏がうつるなんてことを言う人もいた、金持がうつるなんてこともあるのかな、安部邦雄