頭が重いという感じがずっとつきまとっている。
頭が痛い、ということではない。
前は、もっとすらすら動いていたはずなのに、その動きがどうにも重い、という感覚なのだ。
感受性も同時に重くなるというか、ビビッドに反応していた自分の感性も一緒になって重くなっている。
人と話していても、言葉が思うようにハンドリングできない。
これが激しくなると失語症のようなものになるかもしれないが、今のところそんな病的な症状は出ていない。
ただ、確かに昔より重いのだ。
データが増えれば増えるほど、処理速度は落ちる。
これは、コンピュータではままあることである。
ミュージックバード(衛星放送局)に勤めていた頃、私は音楽データベースの責任者でもあった。
購入した音楽CDのデータを次々にオフィスコンピュータに貯える仕事をしていた。
データベースで、音楽をハンドリングする(例えばCDを自動的にかけたりする)という当時では画期的な仕事だったが、その時、この重さというのを感覚的に知った。
最初、データが少ない時は、同時に複数アクセスしても、データ処理は瞬時に終っていた。
ところが、ある一定のデータ量を超えた時から、コンピュータの反応速度はぐっと遅くなった。
お、重い、重すぎる、、、。
データが増えれば参照回数も増え、どうしても処理に時間がかかる。
いわゆるリターンキーを打っても、しばらくは何にも起こらない、ということが増え出したのだ。
コンピュータは魔法の箱ではない、私はその時に痛感した。
コンピュータも又、物理的な制約を受けるのだ。
人間の方が、つまり脳の方が、はるかに何の制約も受けず、情報を処理できる。
その時、私はそれを強く思った。
だから、先日も私は脳の暴走を恐れると書いたのだ。
コンピュータは、当時と処理速度もデータの蓄積容量も増えた。
しかし、相変わらず映像などのデータには耐えられるような状況ではない。
人間はその点、まだまだコンピュータよりも能力は上だ。
だが、それも人間が若い間だけだ。
私はもう若くない、そんな諦念が身にしみるようになる。
コンピュータは、処理に無理がかかればフリーズする。
人間はどうなのだろう。
私のこの頭の重さ、それでも無理に何か考えようとすれば、フリーズするのかもしれない。
でも、人間にとって、脳のフリーズとは何を指すのか。
あんまり考えたくないことである。
脳のフリーズ?ただ眠ってしまうだけのことではないの?ああ、そうかもしれない、そう言えば最近寝不足なんだよね、安部邦雄