在原業平といえば、「伊勢物語」の主人公であり、色男の代名詞でもある。
高校時代に初めて「伊勢物語」を読み、何となく興味を覚えるようになってから35年ほど経つ。
初冠(ういこうぶり)に始まり、終に行く道で、物語りは終焉する。
その間に、有名な「筒井筒」の項があり、生駒姫の話があり、東下りの段落があり、惟喬の親王との交友記がある。
一生、女を追いかけ、危ない橋を渡り、仲間とも別れながら孤独にこの世を去った業平。
放浪の歌人といえば、西行法師が直ぐに思い出すが、業平も又、心はいつも空を彷徨う、放浪の歌人であったと私は思うのだ。
私の記憶では、業平には親の匂いがしない。
父親も母親も出て来ないし、彼の人生には、それらが影響したイメージもない。
当然、彼には子供もあったはずだが、それも極めて曖昧である。
ま、仕方がないかもしれない。
父は親王だし、母は内親王だった人だ。
親に育てられたという意識は全くなかっただろう。
根無し草というか、最終的に自分が帰属するところはどこにもないという人生だったのかもしれない。
それでなければ、あんな奔放な人生は生きられなかっただろう。
自分がどこから生まれ、どこへ消えて行くのか、そんなことも実感出来ないまま、自分探しの人生を放浪しながら生きたという感じだろうか。
さて、何を言いたいかというと、私もどこかこの放浪癖があるのだが、業平のようなデラシネ感がないのだ。
私には、大阪というアイデンティティがあり、又、おかげさまで両親は相変わらず健在。
どこか、最終的な人とのつながりは日々実感できている。
だから、大阪との絆が消えたり、親との接点が消えたりした時、私はそこで初めてデラシネとなり、自分の心が宙をさまようだろうと予測したりするのだ。
業平の作品は、今も私の愛誦歌として脳裏に刻まれている。
ついにゆく 道とはかねて聞きしかど 昨日今日とは思わざりしを
彼の辞世の歌である。
私もいつかは心の放浪の最後に、そんな言葉を吐いてこの世を去るのだと思う。
でも、デラシネでない私は、今は本当にはそんな業平の心迄はわからないのかもしれない。
業平の話をすると、これから何千字も書いてしまいそうな気がする。
もちろん、私は色男でもないし、彼のような奔放な女性とのつきあいはしたことがない。
この年になって、本当はそれがとても残念である。
今さら、業平ごっこを始めたら、どうせエロオヤジと言われるに決まっている。
晩節を汚すなんてことは、やっぱりできそうにない。
それがちょっぴり悔しい。
しかし、今日の更新は何が言いたいのかと自分でも思ってしまう、会社のサイトに載せるような内容じゃないなあと思うのだが、今日は疲れがたまっているので、こんなところで許して、安部邦雄