純粋な心を失わない人がいる。
純粋な心を持つ人は、人間は結局ゼロに戻るのだと知るからだという。
だから、物事に余計な執着をしない。
金銭欲も、物欲も存在しない。
なまじっか、何かを持ってしまうから、人は心に邪心を抱くのだという。
邪心を持ちながらも、気づかれないように世渡りをする、それが成功者と他人から言われるようになるのかもしれない。
純粋な心を持つ人は、成功者とは呼ばれないだろう。
成功者とは、自分が何かをすることによって、富や名誉、地位を得た人だ。
しかし、そんなものが一体何だというのか、と思ってみる必要もあるのではないか。
別に、ニヒリズムに走ることもない。
人生に一体何の価値があるのだ、と叫んでみることもない。
真理を知ることが必要なだけだ。
すべては、流転するということを。
純粋な心を持つ人と話していると、人は誰も癒されるという。
自分をどんな衣装でまとわなくとも平気でいられるからだろう。
自然でいられることが、人は一番幸せなのだ。
人は、青春時代をすぎ、邪心によって形作られた世界にその身を置く。
純粋な心もいつかは失われ、年老いていく。
そして、ぼけることにより、邪心が少しずつ取り除かれる。
だが、その時には純粋な心は、既に死に絶えた後かもしれない。
邪心がなくなった老人には、もはや過去しか残っていない。
そんな風にならないため、頑張って純粋な心が生き残れる場所を私達は失わないようにしよう。
せめて、それぐらいは。
脳が勝手に作り出す世界は、私達を決して解放しない、最近ずっとそんなことばかりを考えている、安部邦雄