又、古い話になって恐縮。
私が音楽を聞きはじめた頃って、たいていラジオから音楽を聞くと言うのが普通だった。
母が聞いているのを自分も横で聞いて覚えてしまうという感じか。
子守唄とか童謡とかは親や兄弟が教えてくれたりするが、歌謡曲(ヒット曲)はラジオが唯一のソースだった。
耳に馴染んだ頃、どこかの「のど自慢大会」で、近所の誰かさんがアコーディオンの演奏で歌ったりしていた。
♪月がとっても青いから?遠回りして帰ろう?
何故遠回りして帰るのか、子供の私には全く想像もつかなかったが。
家に、レコードプレーヤーが入ったのは、中学2年の時。
三橋美智也や春日八郎のレコードつき。
まだ、SP盤も健在で、A面が三橋美智也の「ギター鴎」、B面が聞いたこともない女性歌手の歌だった。
当時は、A面とB面では歌手が違ったりしていた。
こういうのもタイアップというのだろうか。
単なるおまけ程度の曲がB面という時代も既に始まっていたと思うが。(いわゆるSPからEPへという時代変化だ)
私の記憶では両A面なんてのは、ビートルズが初めてだったと思う。
ビートルズ’65(原題:Beatles for sale)の「エイトデイズ・ア・ウィーク/ノー・リプライ」のカップリングがそうだったと思う。
違ってたらごめん。
話がそれた。
で、私が使うことができたレコードプレーヤーは専らビートルズを聞く為のそれだった。
もちろん、アルバムを買うお小遣いはもらっていない。
友達から借りて来るのだ。
金持ちのボンボンはたいてい家にはステレオがあり、子供が買ってくれというレコードはたいてい買い与えてられていた。
ボンボンは私達のような本当の音楽フリークにおだてられ、次々にレコードを買ってくれる。
最初は友達の家で聞くのだが、そのうちボンボンの悲しさ、飽きて来るのだ。(オモチャと同じ)
そうすると、そこからは殆ど自分のものになる。
借りて来て、1ヶ月は返さない。
1日に何回聞いたことやら。
ビートルズのアルバムの曲順は今でもほとんど言える。
この曲の終わりがこうで、その次の曲はこんな感じで始まる。
CD化された時に何が不満だったかというと、曲のフェイドアウトが早すぎるのと、次の曲が瞬時に出て来るということだった。
やっぱりアナログ盤でないと、あの時のわくわくした気持ちは甦らない。
はて、今日はラジオのことについて書こうと思っていたはずが、何か違う展開になってしまった。
年寄りの思い出話になったみたいだが、御寛容をいただいて又明日。
もう11時すぎだし。
でも、昔聞いた曲はCD化されるとどうも違和感がある、それと全くテイクの違うバージョンが採用されていたりして、一体本当はどっちだったんだと思ったりするのだ、だから、昔の曲をCDで聞くのは今もちょっと臆病だったりする、安部邦雄