音楽をラジオで聞く。
そう、音楽ほどラジオという媒体に相応しいものはない。
虚心坦懐に音楽の世界に没頭できる。
なまじっか、人や楽器が見えたりしたら、それだけ音楽への集中心が落ちる。
音楽は音の芸術である。
最近のレコード業界は音楽を聞かせるのではなく、見せることばかり気にしすぎているのではないか。
音楽をDVDで楽しむのも結構だけど、どこか邪道のような気がしてならない。
ラジオから音楽を聞きはじめた私、ポピュラー音楽に浸りはじめたのはいつのことだろうか。
例えば、坂本九さん。
「上を向いて歩こう」は日本のオリジナルだが、「すてきなタイミング」なんか、元々はアメリカのヒット曲。
「ビキニスタイルのお嬢さん」もそうだ。
森山加代子さんの「月影のナポリ」なんかもろカンツォーネ。
イベット・ジローといえばシャンソンだけど、名前が何となく日本人向けだったし、曲も「あじさい娘」なんて言って紹介されたので、何となく覚えてしまったりした。
アーサー・キットという名前も日本人には親しい名前だ。
「証城寺の狸ばやし」を英語にした曲なんか、わけわからんなりに歌ったりしたものだ。
夜、自分の部屋でS盤アワーだの、P盤アワーだのを聞いていると、流れて来たのが、ジョニー・ソマーズの「ワン・ボーイ」。
これまた意味はわからなかったが、衝撃的な感動を私に与えた。
わが「ヰタ・セクスアリス」の第一ページだった。
「カラーに口紅」とか「すてきな16才」なんてあっちいけー、という気分だった。
この頃になると、何となく親とは一緒にラジオを聞かなくなった。
「蝶々雄二の夫婦善哉」とか「とんち教室」とかは一緒に聞けても、我が心の性をくすぐるアイドルの曲は、とても親と一緒に聞くという気分にはなれなかった。
そして、中学2年生になり、ついに出会うのがビートルズ。
私の、子供の心はこれで完全に終ったと思った。
何だ、おれたちは何をやってもいいのだ。
何を叫んでもいいのだ。
世界は、こんなにも広いのだ。
今までの世界は、管理された箱庭でしかない。
さなぎが蝶になるように、その時心の奥底から脱皮が始まったのだ。
本当に、世界は、こんなにも広いのだ、と。
てなところで、又明日。
今日は書きながらわくわくしてきた、確かにあの時の思い出が走馬灯のように頭の中をめぐる、こんなところでチマチマ書いているのが耐えられなくなって来たりもした、というわけで中途半端に今日の更新が終ったとしたら、ま、そういう理由です、安部邦雄