今日は違う話題にしようと思ったのだが、昨日の続きが読みたいと言う人もいるかもしれないから、少しだけ。
前に、中学時代にレコードプレーヤーが家に来たと書いたが、このプレーヤーにはラジオがついていた。
もちろん、FMなんてついていない。
その頃のラジオは、良くってMW(中波)とSW(短波)だけだ。
その頃、私は中学の技術部というところに何故か在籍していた。
まだ、大学は宇宙物理学に進むつもりでいた私だった。(ブラスバンド部は2年の終わりに担当の先生と喧嘩してやめていた。)
放課後は、ずっと実習室で三球スーパーのラジオを組み立てていたりした。
部品は、そのあたりにあるものを適当に使って組み立てるのだ。
回線図を見ながら、ハンダごてとかラジオペンチ等を使って毎日少しずつ作業をする。
シャーシに不用意に触ると230ボルトの衝撃を受けるが、しばらくすると慣れっこになる。
3ヶ月後、全体像が完成。
アンテナをとりつけて、スイッチオン。
しーん。
当たり前である。
そんなに簡単にラジオなんか作れるわけない。
ゲルマニウムラジオとは違うのだ。
今度は、どこが間違っているかのチェックの日々。
1ヶ月後、再び電源スイッチオン。
バリアブル・コンデンサ(通称バリコン)を少しずつ回転させる。
バリバリバリ、おっ、音が出た!
バリコンの間にドライバを挿入して、間隔を調整。
ついに、人の声が聞こえた!放送を受信した!やったー!
まわりを見渡した。
他の部員が私を見ている。
誰も何も言わない。
いや、むしろ無関心をよそおっているとしか思えない。
一人だけで、ワアワア喜んだ。
誰も私がこんなに早くラジオを完成させるとは思わなかったようだ。
しばらくは、実習室でラジオをひとり聞いていたが、周りは相変わらず黙々とラジオを組み立てている。
実習室は勿論ラジオを聞く場所ではない。
わずか半年ほどで、私はすることがなくなってしまった。
何か白けてしまい、それでもう技術部にはあまり顔を出さなくなった。
せっかく、1からコツコツとラジオを組み立てたのに、これで終り?て、感じだった。
後は、高校受験モードに入り、技術関係も興味をなくした。
宇宙物理学への興味もついでに消えて行った。
私に何があったのだろうか。
ま、それはそれとして、ラジオ技術に通ずるようになった私は、今度はBCLの世界に挑戦することになった。
それで、最初に触れたラジオ付きレコードプレーヤーの話につながるのだが、長くなるので又明日。
昔を思い出しながら書くと文章が散漫になるなあと実感、面白くなかったらメールでお知らせ下さいね、すぐやめますから、安部邦雄