子供の頃から、漫画やテレビで何度も教え込まれた言葉、「正義の味方」。
正義の味方、すなわち「僕らの仲間」だった。
悪は、みんなの仲間ではなかった。
どこからかやってきて、みんなに悪いことをするから悪。
その仲間は、悪の手先、などと言う。
桃太郎の鬼退治。
鬼は悪なのだ。
遠い、鬼が島というところからやってきて悪さする。(桃太郎の鬼って、実際にどんな悪さをしたのか知らないが)
だから、桃太郎は義、勇、智を伴にして、これを退治に行く。
戦利品を死ぬほどぶんどってメデタシメデタシ。
他にも正義の味方というと、昔の漫画の主人公はみんなそうだ。
そうでないのは、秋山ジョージの「銭ゲバ」ぐらいからか。
今では、正義もへったくれもないようだ。
主人公が、純粋培養の正義の味方というのは少ない。
どこかに正義を主張するところは持ちながら、それなりに世の中と妥協して生きている感じか。
漫画家もわかっているのだろう。
今の世の中に、本当の正義の味方なんてまるでリアリティがないことを。
誰が正しくて、誰が悪か、これは実際には本当に難しい。
鈴木宗男氏を筆頭に、最近やたら政治家が逮捕されている。
これらの人は、悪い政治家だとレッテルを貼られているが、本当に「悪人」なのかと言ったら、必ずしもそうではないような気もする。
逮捕されないで、のうのうと正論を喋っている政治家の方に、随分悪人っぽいのがいそうな感じだ。
正義の味方も、どこかで法をやぶっているはず。
又、法を破ることもできない正義の味方なんて存在するはずがない。
法なんて、その時の政府の価値観に依存しているわけだし、人間としての倫理観としばしばぶつかったりもするのだ。
その度に正義の味方が、アンビバレンツな状況に陥って苦吟していたら、簡単に悪の手先に葬られるだろう。
正義の味方の弱点は、「気持ちはわかるが法的には問題ない」と悪の手先に言われることだ。
正義なんて、青臭い剣なのである。
世の中は、倫理、倫理などと言って騒ぐのは、ガキだけだというのが正論なのである。
鈴虫じゃあるまいし、リンリ、リンリとうるさい限り、などと言ったのは、ある保守系の実力者である。
今の時代、正義の味方はどうしていいのか迷ってしまうはずだ。
困ってしまうよなあ。
私だって、正義の味方であろうと今も思っているが、じゃあ正義って何なのだと言われると、そんな絶対的なものではないことに気がつく、で、やっぱり困ってしまう、安部邦雄