前にも書いたような気がするが、ある女の子が悪意なく言ったのが次の言葉。
私に子供ができたら、××地区の学校には行かさない。
あそこへ行くと、貧乏がうつるから。
彼女は、いわゆる<ええし>のお嬢さんである。
お嬢様学校をエスカレートで昇り、顔も美形で人柄も悪くなかった。
やや気が強い面もあったが、お嬢様としては世の中の仕組みもよく分かっている子だった。
にも関わらず、自分の子供には貧乏をうつさせない、等と当然のように言ったのだ。
貧乏がうつる、って何やねん。
これが、バカとかアホがうつるというなら、まあわからんでもない。
朱に交われば赤くなるのは事実だし、孟母はそのために三遷までしたのだ。
貧乏がうつらないためではない、のだ。
貧乏人とつきあうと何がいけないというのだ。
確かに貧乏人は上流社会とつきあうのは難しい。
上流階級は、上流階級とのみ、自然なつきあいができる。
自分の子供には変な色がついてほしくない。
それでなくとも、上流階級は選別には厳しいのだから。
あまり裕福ではない暮らしを経験して来た私には、そんなことに拘泥する連中はやはり好きになれない。
上流階級なんて、これからの時代、どれだけ存在できるというのか。
自分が努力しなければ、富を得ることは難しい時代に早晩入るだろう。
貧乏がうつるなんて気にしていて、本当にあんたの子供は幸せなのか。
21世紀は、金持ちがそのまま金持ちであり続けることは可能だろうか。
既得権者はずっとその既得権を持ち続けることができるだろうか。
生まれながらにして、上流階級、金持階級なんてことはもう無理ではないだろうか。
日本の皇族でさえ、今のまま存続できる可能性はそれほど高くないような気がする。
人々はグローバルに平等の方向へますます動くだろう。
その間、戦争もあれば飢餓もあり、民族対立もあれば、ろくでもない意地のつっぱりあいもあるだろう。
もちろん、私もそんなに長く生きられるわけではないので、実際にどうなるのか、この目で見届けることはできないだろうが。
貧乏もうつれば、金持もうつる。
これからは、きっとそういう時代なのだろう。
ただスキルというのは、できれば一流に教わらないといけない。
下手に習えば、下手がうつる。
アホな教師に学べば、思いきりアホがうつる。
二流に習えば、二流にしかなれない。
スキルだけは、一流も三流もいつか二流に収斂するとは思えない。
もう遅いかもしれないが、私もできれば一流の経営術が伝染する環境にいたかったなあ。
今まで、私は恵まれなさ過ぎたとつくづく思う。
まわりは、経営オンチばかりだった。
松下幸之助も本田宗一郎も井深大もいなかった。
我が人生の不覚であったと悔やむことしきりである。
スキルは頭で学ぶのでなく、身体で学べ、頭で学んだものは、一々考えないと判断が下せない、身体で学んだものは考える前に身体が動いている、身体で学んだ方が結局は後々楽になることを覚えておこう、安部邦雄