価値観がゆらぐ現代日本。
こうやっていれば安心というのが、少しずつ壊れつつある。
街を歩いていて、100%安全ということはありえない。
今までの常識とか、等身大的な生き方とか、地道な努力とか、そういうものが保証してきた安全が揺らいでいる。
普段使う、メディアそのものも、いつ貴方を襲うツールになるかはわからない。
嬉しそうにインターネットを使っていても、それが牙をむいて襲いかかって来た時、貴方はどこまで耐えられる?
まさか自分の身にふりかかるなんて、ほとんどの被害者はそう思っているはず。
私だって、今年の5月、まさかスピード違反でつかまるとは思っていなかった。
今まであった自信、そんなものは運命の鎌のひと振りで死に絶えるだろう。
生きていることも又、不安ではなかろうか。
鬱病が何故こんなにもサラリーマン層に増えるのか。
自分の描く社会と、実社会が微妙にずれはじめる。
そのずれに、自分の脳がついていけない、のかもしれない。
自分に絶大な自信を持っていた人、プライドが等身大以上に高い人、そんな人が、少しの狂いで精神を病んでしまう。
いつ、貴方だって私だって、そうなるかもしれない。
逃げ道がない、突破口がない、いわゆる社会の閉塞感というやつだ。
空虚に流れる、テレビの世界がそれを加速する。
脅迫的に、視聴者を追い込んで来るCMの数々。
こう大っぴらにマインド・コントロールが許されるなんて、世も末だ。
自分自身が何がなんだかわからなくなる。
そりゃ、そうだ。
こんなに簡単に、自己のアイデンティティを第三者に操作されているのだから。
個の自立なんて、お題目にすぎない。
自立がなければ、近代人は疎外されるだけだ。
はて、こんな都市環境を前提に、個の自立は可能なのか。
インターネットは、本当に何か役に立つのか?
癒しブーム、なんて口先ばかりかもしれないね。
感性がやや上滑りな言葉を紡ぎ出す、最近の更新、とはいえ、滑ろうと何しようと、取りあえず書き出すことから始めよう、理屈で世界を構成するのは、まだ後でいい、安部邦雄