川の流れにいつのまにかのっている。
というか、どんどん流されている。
時の流れといいかえても良いかも。
時間という概念を知った時から、流される自覚が始まったと言うか。
で、その川の流れ。
何となくやばい。
あと、しばらく流されると、そこには滝があるはずだ。
絶対にあるという断定はできないが、川の相を眺めていると何となくわかる。
落ちるのはわかっている。
どうしよう。
流れをとめるのは無理だ。
♪おれたちはタダの魚さ 川の流れまでは変えられない?
柳ジョージの「コインランドリー・ブルース」でも歌われている通りだ。
できることは、少しでもそこへ到達するのを遅くすることしかない。
流れに逆らって、泳ぐか。
もう、人生に十分疲れ切った私、誰にその限界を語ることも出来ない私。
泳ぐのは辛い。
あと、滝までどれくらい?
行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。
そう、流される私等、その一瞬の存在でしかない。
落ちるなら、早く落ちてしまう方が良いのかもしれない。
残るものは、その方が次の選択もできるというものだ。
泳ぐか、それとも流されるか。
身体がもってくれるかどうかもわからない。
川は今日も流れている。
病葉(わくらば)を一杯浮かべながら。
仲宗根美樹「川は流れる」は今も知る人の多い曲だ、中学校のブラスバンド部室に「川は流れる」の楽譜が何故かあり、私はひとりクラリネットでメロディを吹いていたことを思い出す、わくらば?枯葉のことだったのね、安部邦雄