今日のスポーツ紙には、大体、王さんフジテレビを拒否の大見出しが。
ダイエーの王監督をフジのバラエティ番組が茶化したのを怒っているらしい。
日本シリーズの中継もさせてやらない、取材も一切お断り。
謝るだけでは済ませんられんそうだ。
番組を見ていないし、すべて伝聞なので無責任なことは言えないが、これはひとことで言ってシャレにならんという類の話だろう。
バラエティとかお笑いとかは、まあまあ際どい話はつきものだ。
少々無茶もするし、見ているものをヒヤヒヤさせるようなこともよくする。
それは侮辱じゃない?と思われるすれすれのことも日常茶飯事だ。
ハゲをバカにしたり、目のでかいのをバカにしたり、口が大きいことをバカにしたり。
あまり、それを強調し過ぎると、シャレにならんとお小言が来る。
じゃあ、シャレになるかならないかの分かれ目は?
私は、それは客が不快に思うか思わないかだと思う。
今回の場合、王さんが不快か不快でないかは大したことではない。
王さんがそんな扱いをされて、見ている方が不快か不快でないかなのだと思う。
ある政治家を茶化すなんてのもよくある。
政治家が怒って、番組に圧力をかけてきたなんてのも珍しくない。
しかし、これはシャレのわからん政治家だ、野暮な奴だ、で正解だと思う。
それで客が喜んでいるのだ。
不快なのは、あんただけだ。
しかも、それが著しく事実に反するならともかく、そう思われても仕方がないような時にクレームを入れるなんて最低である。
私も番組をプロデュースしながら、よく思った。
面白い番組というのは、まず作り手側が面白くなければ、絶対にリスナーは喜んではくれない。
ただし、作り手側が面白くとも、リスナーが不快になりそうなことはできるだけしてはいけない。
客の姿が見えなくなれば、客は自然に引いて行く。
今回のフジの番組は、きっと作り手側は面白いと思ったのだろう。
ただ、悲しいかな、客が見えていなかった。
大事なのは、お客さんが喜んでくれるかであり、自分達が満足すればいいわけではないのだ。
テレビ番組が一番の仕事場になったタレントには、客の姿が見えなくなる。
東京で人気の出たタレントはとりわけそんな傾向がある。
やはり、芸人は客のそばにいないといけない。
これ、現代の商売人にも言えることだ。
供給者の論理から消費者の論理へ。
消費者を大事にする人は、こんな不快な結果を望んではいなかったろう。
ところで今日は一日事務所で一人きりだった、手下どもは一体どこに隠れてしまったのか、街に蝉がなかぬように、私の仕事も泣かず飛ばずということか、安部邦雄