芸術の世界って、本当に奥深いものがある。
絵にしても、焼き物にしても、真贋を見極める目というのは、長年の努力の賜物だろうと推察する。
似て非なるもの、なんて言葉がある。
同じように見えていても、本質的に全く違う。
ものの真贋というのは、多分そういうものなのだろう。
私が多少、真贋を見極められるとするならば、それは音楽の世界だろう。
音色にその人の努力の時間を感じることができるようになったのはいつのころからだろうか。
この人の音楽の世界は本物、この人のは単なる切り張り、単なる模倣、単なる張りぼて、とほぼ正確に言い当てられると自負している。
どうして?
だって、私の耳にはそう聞こえるのだから。
昨日、歌心の話をしたが、確かに本物をわかる人は、私のような賢しらな解釈でお茶を濁す人とは違うのだということは痛感している。
本物は、ほんものだけのことはあるのだ。
さて、今日は「伊勢物語」からこういう歌をとりあげる。
出でていなば限りなるべみともし消ち
年へぬるかと泣く声を聞け
何かさっぱりわからん、と思いませんか?
そんなに時間がたってしまったのかと泣いているのが聞こえないのか、てことでしょうかね。
どうして?
外に出たら、もう終わりがきたのだろうか、火も消えているから?
ええと、言っていることわかりますか?
外に出るのは、亡くなった皇女の棺なんだそうです。
で、皇女にとっては出たら終わり、ってことで、若いのに亡くなって、そんなに生きておられたわけでもないので、みんなが泣いている声を、お聞きなさい、てな意味らしい。
絶対、わからないですよね、そんな歌心。
これが名歌なのかどうかも、判断つかないし。
ま、そういうわけで、伊勢物語の話はとりあえずこれで。
つまり言いたかったことは、私は悲しいかな、和歌についてはその心を読み取る素養にかけているということです、残念!好きなのは、和歌は和歌でも、井上和香、斬り!てなわけか、安部邦雄