さて、眉村卓『大阪の街角』の話。
何に驚いたかというと、一言で言うと、まるで私がこのエッセイを書いたのではないかと思うほど、自分の考えとか行動と同じだったのだ。
同じようなことを考え、同じような生活をしていると言うか。
実は、この作品、ちょうど今の私と同年令頃に書かれたものなのだ。
それゆえ、問題意識も同じになるのかもしれない。
でもねえ。
「歩け歩け」という表題では、時間があれば景色を見ながら近くを歩くことが書かれている。
少しの風景の差に気がつき、確かここにはお店があったはずだがと思うのだが、その店がどんなものだったのか思い出せないとか。
都市の景観が、開発などでどんどん変わる。
最初は異和感があるが、そのうちそれが当たり前になり、かっての景観自体がもう映像の中でしか確認出来なくなる。
つまり、現在の状況が普遍的にイメージとして存在し、過去の状況が全く思い出せなくなるというか。
何か、私が毎日こだわっていることと同じことに、眉村さんがこだわっているのだ。
何だ、みんな同じようなことを考えるんだで済ませてもよいのだが、何となく眉村さんと私って、同じなんじゃないかという妄想にかられたりする。
「会社の夢」では、最初に勤めた会社が、辞めて25年になるのに、まだ同じシチュエーションで夢に出て来る。
今の私が、昔の同僚や上司と丁々発止。
言い争いをしたり、悪意を感じたり。
そんな夢を今何故見るのか?眉村さんは自問する。
そう、今の私もこれと同じような夢を見る。
何故か、今の会社の夢は見ない。
何度も、何度も、その都度シチュエーションを変えて、昔在籍していた会社の夢を見る。
本社を離れて15年も経つ。
嫌な奴は、相変わらず嫌な奴の役回りで夢の中に出て来る。
今さら、この人に敵意を持つこと等ないのにと思いながら、何度も何度も嫌な奴は嫌な存在として、私の前にいる。
大学時代の夢も同じ。(同じ阪大だから?)
この「大阪の街角」、まだ半分も読んでいないのだが、段々読むのが嫌になっている。
自分がユニークだと思って書いていることを、もう既に眉村さんが書いているかもしれないと思うと、テンションがどうしても下がる。
ま、向こうは月刊誌に10年間連載していたもので、私のは毎日連載である。
そりゃ、向こうの方が楽にかけるはずだ、私は毎日大変なんだからと自分を慰めることもできる。
しかしなあ、同じこと書いていてもなあ。
てなわけで、眉村さんの本を読まれたことのある方、ひとつ私を慰めて下さいませんか。
大丈夫、大丈夫、あんたの方が、ずっと読みやすい、とか。
それで嬉しいかどうかは、よくわからんが。
では、又明日。
趣味が同じというのもあるのかも、子供の頃プラネタリウムが好きで、望遠鏡をそれで買ってもらって、一時期熱中していたが知らぬ間に興味をなくしていて、で、年とってから又プラネタリウムに行って、何か変わってないなあ、とか言って、ホンマ、わしと、おんなしやんけ?、安部邦雄