毎日、色んな方からメールをもらう。
そこで実感することなのだが、言葉にエネルギーを感じる人と感じない人がいるということだ。
長いとか短いとかは関係ない。
同じことばかりをだらだら書く人と、見事に要点だけを簡潔に書く人。
訴求力で言えば、断然後者の勝ちである。
言葉ひとつひとつに力があるのだ。
昔から日本には言霊(言魂)信仰というのがある。
言葉には、それ自体に霊的な能力があるということだ。
だから、不用意に言葉を使ってはいけない。
その言葉が悪霊となって、身を滅ぼすかもしれない。
不吉な言葉、死とか怨霊とか呪うとかを使ったら、「鶴亀、鶴亀」と言って、縁起の良い言葉でそれを打ち消すなんてのもあった。
すべてのものに霊が宿る、言葉もまた例外ではない。
早い話、アニミズムである。
言葉にも霊があるというのは、私的にも納得していることなのだ。
最近は、あんまり言霊信仰なんて聞かなくなってはいるが。
そういうことで、メールの文章にも言霊が宿っているのではと思ったりする。
特に、私にびんびん響いて来る言葉を使われる人には、強くそれを感じたりする。
やはり、エネルギーのある言葉を使える人はすごい。
情報発信能力というのは、このエネルギーを媒介にしているのだと私は思う。
力のない言葉を使えない人は、結局情報発信なんてできないということなのだろう。
ありきたりの言葉を使う人。
誰かが使った言葉をそのまま使う人。
ただただ思いついた言葉を羅列するだけの人。
これらには、何の力も感じない。
心がこもっていない、なんて表現もあるが、結局このエネルギーがあるかないかなのだろう。
このエネルギーもプラスばかりではなく、マイナスも存在する。
顕著な例は、不幸の手紙である。
チェーン・メールとも言う。
そこに書いてある言葉は、実に力強く、人々を暗黒の世界へ誘い込む。
それを見た時から、あなたはもう、暗黒の力から逃れられない、という風に。
貞子現象なんかも、この類である。
マイナスのエネルギー、或いはスターウォーズ風にいうと暗黒面のフォース。
ま、それはいい。
いい文章を書く人は、言葉自体が強いエネルギーを持っている。
詩の言葉となると、それを脳の奥深い部分まで突き刺すぐらいの力がある。
そんなエネルギーのあるメールをもらうと、私なんかしばらく考えてしまって、容易に返事ができなかったりするのだ。
仕事のメールなんかには、ほとんど感じたりしないが。
私のこの更新なんかも、良し悪しなんか結局その日の言葉にエネルギーがどれだけ備わっているかで決まりそうだ。
今日は、なかなかいい内容だったなと思う日は、そこに使われている言葉が自己主張していると感じたりする。
自分で書いたのに、それ自体が私にメッセージを送って来るという感じだ。
だめだなと思った日、昨日の温泉話なんて典型的だが、へ?、だから何?なんて自分でも軽く突っ込みたくなったりする。
言葉には、エネルギーが宿る。
そのエネルギーが言葉を時空を越えて、遠いところまで運んで行ってくれるのだろう。
さて、今日の言葉は、どこまで飛んで行けるのかな。
とか言いながら今日の更新はあまり力を感じないなあ、こういう風に書いてしまうと、何か自己矛盾に陥るというか、意識が拡散してしまって、集中出来なくなるんだよなあ、安部邦雄