昨日のETV(NHK教育)で、養老孟司さんの特集番組をやっていた。
「バカの壁」が大ベストセラーとかで、前にもまして養老先生の顔出しが増えている。
学者先生というのは、あまりこういう顔出しは苦手な人が多いが、養老さんはどうも出るのが好きなようだ。
自分の使命としてテレビ出演とか、講演などに行くようにしているらしい。
いいことだと思う、頑張って下さいね。
養老孟司さんについては、何度かこの更新でも取り上げているので繰り返さないが、とにかく、今一番私が興味を持っている人だ。
すべては脳に始まり脳に終るというメッセージは強烈だった。
私がインターネットにのめり込みはじめた頃に、養老さんのメッセージに出会った。
インターネットの世界は、まさしく脳内ネットの世界だった。
だから、私は養老さんのメッセージをすべてインターネット的に解釈する作業を始めることにした。
解釈はまだ途中なので、ここでは書かない。
ただ、世界を解釈しているのは脳であり、脳が解釈出来ないものは、例え世界にあったとしても、脳にとってはないも等しいというメッセージは示唆的である。
NHKの番組内で、死体には3つのパターンがあると先生は言った。
普通の死体、死体ではない死体、そして存在しない死体。
第三者の死体は普通の死体である。
身内の死体は、その死を認めたくないゆえに死体とは考えない。(いつまでも抱き続けることができる)
そして、自分の死体は、自分で見ることができないゆえ、存在しないのと同じ。
なるほどなあ、と思った。
自分が見れない自分の死体というのは、死体そのものが存在しないと言うことか。
ただ、このテーマは養老さんの本から絶えず、手を変え品を変えて発信されている。
今までは、それほど話題にはならなかった。
しかし、今回の「バカの壁」のヒットで、多少とも認識されるようになるのはいいことだ。
大体、オウム真理教や、わけのわからん新興宗教に若い連中が盲信するなんて漫画もいいところである。
オカルトとか占いの類も同じだ。
手品とか、イリュージョン・ショウなんてのを見ていたらわかりそうなものだ。
人間が如何に、簡単にだまされるかと言うことを。
奇跡だとか、超能力だとか、オカルト的なものは、マジックの世界でも同じように可能なのである。
つまり、人間の穴を利用して、不可思議な世界を作ることはいくらでも可能なのだ。
穴を知っていれば、人等簡単にだませるのだ。
脳等、少しも万能ではない。
人間が認知出来ないもので、人間を解釈するのが科学だともいう。
確かに、水は水素と酸素でできているなんて、普通認知なんてできはしない。
しかし、そういう見えないもので、空中から水を作り出せば、それは知らないものから見れば超能力なのである。
この類のことが、脳相手には簡単にできるのである。
幽霊だって、UFOだって、ミステリーサークルだって。
深く考えたければ、考えればいいし、考えるのが邪魔くさければ適当に楽しんでおけばいい。
マジックの楽しみ方なんて、まさにそこにある。
オカルトだけが、何故にかくも自分の人生をかけてまで信仰の対象となるのだろうか。
適当につきあう、占いも宗教もそれでいいのだ。
それで、怒る神さまなどいるはずがない。
養老さんを最初に見たのは、鶴瓶さんの「新平成日本の夜ふけ」だったか、それまでは「唯脳論」の作者というイメージ以外になかったが、実際に話を聞いて私の脳に衝撃が走ったのである、そういえば、先生監修の「人体の不思議展」が東京で開かれるみたい、大阪では大人気だったが、さて東京ではどうだろう、安部邦雄