秋深し隣は何をする人ぞ、という句がある。
秋も深まり、夜はシーンとする。
隣に人はいるはずなのだが、いったい何をしているのだろう。
少し気になる季節になったなあ。
大意はこんなところか。
なぜ秋が深まると、隣が気になるか?
それは簡単だ。その前の季節が夏だからだ。
夏はどうしても、風が通るように部屋を開け放す。
簾などを使って、最低限は隠すが中で何をしているか何となくわかる。
ところが秋になると部屋を閉め切るようになる。
雨戸も閉め、外気を少しずつ遮断したりする。
だから、秋になると隣が何をしているかわからなくなるのだ。
一昔前の、隣近所の付き合いが濃い時代の話である。
今なら、隣は一体だれじゃらほい、というのが本当のところではないか。
何をしているか以前に、誰が住んでいるのかすらわからないのである。
私が住んでいるところも、隣人がだれなのかよくわからない。
知っていて挨拶する人もいるが、住人がよく変わるため、誰が本当の隣人なのかわかりにくいのだ。
人情紙風船、なんて言葉がぴったりくるような都会の生活。
隣が何をしようと知ったことではない時代、秋に情緒を求めるのも限度があるのかもしれない。
今夜も、一晩中虫はなき続ける。
そしていつかは、虫の息。
秋は人よりも虫達にシンパシーを感じる季節といえないでもない。
他人との付き合いは煩わしいと言う人が増えた、子供の頃からたくさんの兄弟、たくさんの親戚とつきあう経験がないと、どうしても人との距離のとり方がわからなくなるのかもしれない、どうなる日本の隣人関係?安部邦雄