人生は、重き荷物を背負って遠き道を行くがごとし。
栄耀栄華を極めた徳川家康でさえ、このような人生観を語ったと言う。
露と落ち露と消えにし我が身かな 浪速のことも夢の又夢
権力を手中にした秀吉でさえ、最後は自分の人生のはかなさを辞世とした。
さだまさしは「関白宣言」で、こう言っている。
お前のお陰でいい人生だったと
俺が言うから必ず言うから
小市民的というか、マイホーム主義というか。
今はそれが大事な価値観なんだろう。
理想的家庭内秩序。
しかし、誰の心にもあるこういった理想は、普遍的なものであるのだろうか。
親には孝行、子供には愛情。
父の愛は山よりも高く、母の愛は海よりも深し。
こういう理想的家庭像と、先ほどの家康や秀吉の遺訓とは両立するのだろうか。
人生は空である。
滅せざるもの、あるべきや?
家康も秀吉も信長も、人生の本質に愛情ある家庭を前提としてはいない。
人は孤独であり、人生は試練である。
自分の欲望を最大限に充足させる為に、人は全身全霊を使って戦うのだと。
その結果の、ほんの一部分に、今私達が理想としているマイホーム的家庭像が存在するのかもしれない。
今の理想的家庭像に、戦う潜在力は存在するのだろうか。
などと、一つの家庭すら実現出来なかった私が何を言っても空しいだけかもしれないが。
孤独の中、日々社会との葛藤を続けている私。
勝ち抜けるのか、それとも敗残の道を歩むのか。
三歩進んで二歩退がるのならいいが、一歩進んで二歩退がるなんてことになりはしないか。
日暮れて 道遠し
秋の日はつるべ落とし
今日も何だかんだありながら、まもなく次の日を迎える。
来年ぐらい、ちょっと一休みしたいものだ、荷物は重いし、まるで悪夢のような毎日だし、天秤ばかりは重たい方へ傾いて行くに決っているじゃないか、だしね、安部邦雄