今まで、代々木のファミレスにいた。
こんな時間でも超満員。
表は人など殆ど歩いていないのに、暖かな光に誘われて人はこんなところに集まってきているのかもしれない。
客は、ほとんどが20代の若者。
学生の集団と、カップルと、することがなく屯している風情のプータロー(?)達。
あと、得体のしれないオバサンの連れ。
一人で来て、ずっとコーヒーのお代わりをしながら時間をつぶしている老人もいる。
何か、私も近い将来、そんな老人のひとりになりそう。
若者達を見ながら、ふと思った。
君たち、悪いけど12月からイラクへ戦争に行ってもらうよ。
そう言ったら、みんなどんな反応するだろうか。
ようし、それなら行ってやろうじゃないか、そう意気に感じて立ち上がる連中がどれだけいるだろうか。
私の20代、というか学生の頃は、まだ学生運動も盛んだった。
国のためというより、イデオロギーのために命をかけるのもやぶさかではなかった。
おのれの欲望の実現のために、戦うことは当たり前だと思っていた。
命をかけて戦う以外に、自己実現などありえない、と。
今は、すべてがイイ子にしていると与えられるような幻想がある。
普通に生き、普通に努力していたら、社会は自分を守ってくれるなどという幻想だ。
社会が守ってくれるなんて、そんな楽観主義でこんな閉息した時代を生きていけるはずがなかろう。
席にすわり、料理を注文し、お金さえ払っていたら、自分は何の問題もなく幸せに生きていけるのだと思いますか?
ファミレスには、そんな見せかけの幸せが充満している。
金さえ出していたら、幸せはそこに用意されるのだろうか?
ならば、私はきっと、永遠に幸せになれないだろうし、そんな幸せならくそくらえである。
見せかけのエデンの園なんて、SFの世界にはいくらでも出て来る、単に為政者にマインドコントロールされているだけ、というのがいつもの落ち、スタートレックにも何度も描かれていた、何がみせかけの幸せなのか、実はあまりよくわかっていない、安部邦雄