太陽が地球の周りを回るのではなく、地球が太陽の周りを回るのだ。
これを地動説と呼ぶ。
16世紀にコペルニクスが打ち出した説だ。
今では誰もが自明のことと思っているこうした事実も、やっと400年あまり前に発見されたばかりなのだ。
ここからコペルニクス的展開という言葉が生まれた。
今までそうだと思っていたことが、実際は全く逆だったという時に使う。
どんでん返し、というのも意味が近い。
アメリカ映画で良く使われるが、ずっと正義の人だと思っていた人(あるいは味方だと思っていた人)が、実際は悪人で、主人公が危ない目にあっていたのは、本当はみんなそいつのせいだったというパターン。
アメリカ人って、本当にこういうストーリーを作るのがうまい。
やはり一神教(キリスト教)の連中は、正義と悪魔が隣り合わせになっているためか、その対比の中でストーリーを作るのが手慣れているのだろう。
日本人はだめだ。
多神教(八百万だものね)では、悪とか正義とかいうのは相対的なものにすぎず、見方によれば、どっちともとれるという構造にある。
鬼なんて、悪なのか正義なのか、まず判断はつかないだろう。
てなわけで、日本人はこういうどんでん返しとかコペルニクス的展開を想像する力は弱そうだ。
がらっと視点を変えて、とか、一度立場を入れ替えて、とか言ってみても、過去にどうしても引きずられるのか、なかなかそう割り切れることはできない。
できるのは、水に流すということだけ。
つまりは、なかったことにする以外の方法を知らないのかもしれない。
悪も正義も水に流してしまう。
それから一からやりなおす。
先の戦争を終結する時に、何故日本人が従順だったのかというと、すべてを水に流してしまうという文化があったからではないかと思う。
原爆で無辜の民を大量殺りくしたことさえ、日本人は水に流すのである。
これは許したわけでもなければ、アメリカのやり方を認めたわけでもない。
それは悪である可能性は高いが、水に流してしまえばすべてはなかったことになるということにすぎないのだ。
こういう文化、世界にはあまり存在しない。
未だに中国とか朝鮮半島の人たちが、日本を責めるのは、日本人が過去を勝手に水に流してしまっているのが許せないのであろう。
さて、イラクではどうだろう。
あそこも一神教だから、まず水に流すことはあるまい。
日本人には、元々どうすればイラクの人の精神的復興が可能なのか理解出来ないはずだ。
一神教の国は、一神教の国同士で、問題を解決するのが一番よいのではないだろうか。
わからないことには、口を出さず、手も出さず。
とにかく、小泉さんにはこう言ってもらえないだろうか。
「えらいすんまへん、先だって、自衛隊出す言いましたが、わてら皆さんとは考え方もだいぶ違うようで、あの話はなかったことにしてもらえまへんか、過ぎたことは水に流して、心は丸く、命は長く、ね、ね、」
怒るやろな、ブッシュ大統領は。
コペルニクス的展開の話がメインだったのが、途中で趣旨が変わってしまった、書こうとしていたことは、もっと哲学的なことだったが、又イラクの話になってしまった、本当、イスラムはよくわからん、安部邦雄