昨日の続き。
太陽が地球のまわりを回っているのではなく、地球が太陽を回っているのだ。
自分が中心だと思っていたのに、実際は中心は別にあった。
おそらく、ほとんどの人は「えー!」と叫んだことであろう。
しかも、微動だにしないと思っていたこの大地(地球)も気づかないまま自転していたなんて。
信頼していたものが、すべて誤りであったことを受け入れるのは人間には辛かったろう。
そんな説を唱えるのは神を冒涜するなどといって、火あぶりにされたものの多かったろう。
これはどんでん返しなどと言って喜んでいるような話ではない。
養老孟司さんが、こんなことを言っていた。
情報は恒久的なものだが、人間は消えてしまうのだ、と。
言葉がまずあって、人間の脳はそれに合わせているだけだ、と。
意味はわかるだろうか。
つまり、人間は自分こそが中心で、まわりは自分に合わせて変わっていっていると思っているが、それは逆なのだと言うのだ。
変わって行っているのは人間なのであって、変わらないのが情報であったり、例えば環境であったりするのだと。
人間は、そのうちみんな消えてしまう。
しかし、環境はずっと存在する。
自分が何かをしたから環境が変わるのではなく、環境が人間を変え、その後に人間の動きがあって、環境が変化するということだ。
自分の思想が普遍的であるなどと考えてはいけない。
信念は変わらない、などと言って、自分の意見が普遍的であるなどと思う方が間違っているのだ。
人間なんて、所詮脳の中で状況を組み直して認識しているにすぎない。
自分が普遍的であり、周りが変化するだけだなどと脳は思いたがる。
地球は不動であり、太陽や月や星がそのまわりを回っているのだと思いたがる。
脳の性癖とでも言うのだろうか。
諸行無常というが、諸行無常という言葉(事実)は不変であっても、それを語るものは諸行無常の中で浮かぶうたかたにすぎない。
かつ消え、かつ結びて、しかも元の水にあらず、である。
何を言いたいのか?
つまり、この年になって、やっとこれぐらいの真理にたどりついただけということ。
今まで、オレ、何を考えて50年以上も生きてきたのだろう。
朝に真理を聞かば、夕べに死すとも可なり、孔子さまは本当に偉いよなあ、2000年以上も前にこれぐらいの境地に達していたのだから、私なんか最近ますます真理の中でもがくばかりなのに、安部邦雄