作家の村上龍氏が、こう言っていた。
50歳になって、尊敬されない大人は辛い。
確かにな、と思う。
50歳をすぎれば、多少は人様から尊敬されるような存在でありたいという願いはある。
昔はオヤジには、親父の権威みたいなものがあって、それが父の尊厳を演出していた。
オヤジは普通に親父の演技をしていたら、それで子供から尊敬されたものである。
子供は親をまね、追い付こうとし、やがて追い越して行く。
それでも、追い越したはずの子供が、父の偉大さを語るのが普通だった。
あの時の父のあの言葉、あの毅然とした態度が、今の私を作ったのだと言える、などと自伝に書いてくれたりした。
ひるがえって、今のオヤジども。
めったなことでは子供に尊敬されたりしない。
まず、嫁が亭主を尊敬したりしない。
その威厳を不可侵だと思ったりしない。
家庭の中はイケイケ状態。
尊厳も権威もあったものではない。
サラリーマンのオヤジには個性がない。
子供がまねたいと思うコンテンツがない。
追い付く対象ではないし、ほっておいても簡単に追い越せると子供は思ってしまう。
50歳になって、尊敬されない大人は辛いのは確かなのだが、その50歳を過ぎたオヤジにその辛さを克服するノーハウはない。
できるのは、毎晩酒を飲み、亭主をなんだと思っているんだ、一家の主を何だと思っているんだと愚痴るだけ。
そんな姿を見て、子供はますます親の人格を尊敬できなくなるのかもしれない。
尊敬はできないけど、尊重はしてますよ。
そういってくれる子供は、とてもよくできた優しい子というところかな。
なんて、嫁も子供もいない私が、こんな話をしても空しいだけだが。
さて、50も少し過ぎてしまった今の私。
誰か尊敬してくれたりしているのだろうか。
別に尊敬してほしいとは思わないし、それに値する人間だという自信もないけど、いつまでも人様から何がしか理解はされていたいと思いますね。
放っとかれる方が、よっぽど辛いと思うのだが、いかがだろうかご同輩。
小学生ぐらいまでは今でも父親を憧れのまなざしで見ている子供がいる、でも中学生になり高校生になると、段々父親ばなれ、そして尊敬もしなくなるようだ、安部邦雄