年末になると、掛け取りがやってきたというのは昔の話。
今じゃ、掛売りしてくれるところなんてほとんどない。
飲み屋でも昔は何軒か、ツケで飲めるところがあったが、今では数えるほどしかない。
ま、ツケで飲みたいとは最近は思わなくなったが。
幸いなことに、東京に来てから銀座や赤坂のクラブで豪遊するなんてことは殆どなかった。
バブルの頃はそんな人たちも一杯いて、私もよく誘われたりしたが、結局贔屓にするような店は一軒もなし。
だいたい、一晩10万円もかける連中の気持ちがわからん。
女の子と話したくとも相手がいない、どうしてもああいう店でホステスさん相手に話すしかない、と言う人もいた。
後腐れのない女とのつきあいを求めれば、確かにクラブの女性なんかはいいのかもしれないが、何だかねえ。
そういえば、私も最近女性とゆっくり話したり、付き合ったりすることがなくなったなあ。
それだけ自分の中の男が薄らいでいるということなのかもしれない。
もうどうでもいいや、という気分かな。
掛け取りの話に戻ろう。
昔は、ずっと掛けで米や醤油や味噌などを買っていて、年末に代金を取りに来たのだと落語などでは語られている。
しかし、掛け取りができるのは大晦日まで。
それを過ぎると、金を請求する権利がなくなるので、是が非でもそれまでには売掛を回収しないといけなかったらしい。
だから、金を払う方も、何とかして大晦日に払わないで済ませて、チャラにしてしまおうとしたというのだ。
本当かね?
一回、チャラにしたら、2度と掛けでは売ってくれなくなるだろうに。
とはいえ、昔は家賃を何か月もためる人が一杯いたと言うし、遅れながら少しでも払っていたら、追い出されることはなかったなんて話も聞く。
掛け取りの時も、少しだけ払えばそれで今年はいいですわ、なんてこともあったのだろう。
金があれば、払ってくれるはず。
ないから払えないだけだ。
払えない人から無理矢理とっても、結局はお客さんをひとり失うだけ。
少しでも払ってもらえれば、お客さんはお客さんとしていてもらえる。
損して得とれというではないか、金があって払わないわけではないのだから。
ああ、何てイイ時代。
今、こんなこと言ってたら、誰も金なんか払っちゃくれないよなあ。
年の瀬に 積もりし掛けぞ おらが蕎麦 (意味わからん?)
知人が、あらゆる店にツケを残し、行方をくらませた、金を貸したままという人、立て替えた金が戻って来ないと言う人も多い、借金に追われる人も悲惨だが、金を返してもらえない人ももっと悲惨である、安部邦雄