映画「昭和歌謡大全集」に関わってから、村上龍氏の作品に又接するようになった。
「限りなく透明に近いブルー」とか「コインロッカー・べイビーズ」ぐらいまでは、私もフォローしていたが、テレビの司会やったり、映画の監督やったりしはじめてから、無視する対象に変わっていたのである。
思い込みというか、一度ついたイメージは恐ろしいものだ。
いくつかの作品を読んでいると、一生懸命このカオス社会をフォローアップしようという意志が感じられ、村上龍をやや見直し始めているというのが今の私だ。
昨日までは、「希望の国のエクソダス」を読んでいた。
ネットを操る中学生たちが、全く違うコミュニティを現出させるという、いわゆるインターネット社会小説の一つだ。
インターネットが違った価値観を新たに産み出すという予言は理解できる。
しかもそれは、従来の価値観を持つオトナが自らの選択として行うわけではない。
新しい世代が、自己の脳の発達段階と平行しながら実現するのだ。
これはよくわかる。
中学生にパソコンを持たせ、集中的にその利便性を教え込めば、彼らはオトナ以上のスピードでそれらを習得し、新しい価値観を作り出すだろう。
学ぶべき情報はすべてネットの中に存在する。
なければ、その情報を作り出し、ネットの中に流布すればよいのだ。
すべての情報はフリーユースである。
その結果、あるものは莫大な富を得ることも可能であるし、普通にのんびり生きることも可能である。
情報を持っているか持っていないかで、貧富の差がつくこともない。
情報は誰にも開放されている。
一部の既得権者が囲い込んだりすることはできない。
それが情報化社会、ネット社会なのである。
ちょっと説明するのは難しい。
なぜなら、自分でもこの社会はバーチャルすぎて、リアリティがないからだ。
しかし、このバーチャルは単なる夢物語ではない。
今の価値観のオルタナティブとして、このバーチャルな情報社会に可能性が見出せるからだ。
興味があれば「希望の国のエクソダス」をお読み下さい。
前は、IT革命によって、産業構造ががらっと変わるなんて話がよく出ていたが、残念ながら革命などはまだ起きてはいない。
ITを道具の中に押し込めておきたい連中がまだまだ多い。
ネットの世界の深さを全く理解出来ないのに、インターネットがどうのこうのというオトナが大多数だ。
BBS(ネット掲示板)を「便所の落書き」としか認識できていない高名なジャーナリストもいたぐらいだ。
差別的であろうと、猟奇的であろうと、反社会的であろうと、そういう意識を持って生きている連中は実際にいるのだ。
何をするかわからない連中、テロリスト、変質者、キチガイ、我々の社会にはそういうヘテロ的存在もいるのだ。
それにふたをしてきたのが、今までのメディアなのである。
ふたをすれば、そんなヘテロはいつか消えるだろうと思って来たのだ。
しかし、ゴミはふたをしただけではなくならない。
糞尿は、放置すればどこか臭うのである。
インターネットは、それらを直視せよと現代人に問いかけているのである。
ネット革命が起きるとするならば、結局事実を直視する連中が力を持った時だろう。
それは、いつの時か。
次の世代交替がなされる時あたり、そんな気がするのだが、いかがだろうか。
村上氏のJMM(Japan Mail Media)というメルマガも面白いので一読をすすめたい、これからのライターは経済もわからないとだめ、というのが身にしみて理解できると思う、安部邦雄