戦争だ、平和だと客観的に見れている時代は、平和なのだとよく思う。
戦争になるかもしれない、下手をすると自分が死ぬかもしれない、そうなると人は平常心ではいられない。
この状態は平和ではない。
精神状態が平和でなくなった時、人はそう簡単には正悪の判断がつかなくなる。
戦争が正しいのか間違っているのか。
判断が難しい時は、人は得てして楽な方を選ぶ。
それが、この場合は戦争なのである。
勇ましいことを言っていた方が楽なのである。
戦争反対なんていうと、なら、お前はどうすることが正しいと思うのだ、と好戦論者に詰め寄られるだろう。
平和が一番いいなんて言うと、何をこの非常時に言っているのだと言い負かされるだろう。
戦争か平和かを問われるような切羽詰まった状況で、平和を叫ぶのは遥かに難しい。
戦争反対なんて叫ぶのは非国民だと言われれば、黙ってしまうしかない。
そんな心配がない今は、ただただ日本は平和だということであり、国民も心の平和を失っていないといえる。
しかし、この心の平和ほど、危なっかしいものはないことも自覚していた方がいい。
小泉首相が、国会の答弁で怖いことを言っていた。
日米同盟を大事にしないで、民主党はどうしろというのだ!
自衛隊を出さない、なんて言って、じゃあどうすればいいんだ!
ああ、言ってしまったか、と悲しくなる。
心の平和を見失いはじめているのではないか。
バランス感覚が鈍りはじめているのではないか。
それを言っちゃあ、おしめえよ。
じゃあ、どうすれば良いのだ、言えるものなら言ってみろ、ほおら黙るしかないだろう、もう戦争は始まっているのだ、今さら行かないなんて言えるものか。
心はもう平和じゃないのだ。
アメリカは9.11で、もう既に心は平和ではない。
いつ、テロに襲われるかわからない。
戦争になるかもしれない、いつ自分が死ぬかもしれない。
日本人で、まだそこまで思っている人はいまい。
だが、その心の平和も、いつまで持つのか心もとない。
アメリカ人やユダヤ人と心を一にすることが日米同盟なのか。
アメリカはそうやって、日本の人心を我が方へと引っ張って行っているのではないか。
戦争になるかもしれない、下手をしたら自分も死ぬかもしれない。
その覚悟ぐらい、国民に語る必要が自民党や公明党にあるのではないか。
知らず知らずに、国の犠牲になることほど、後に禍根を残すことはないと思うのだが。
私には、体制に抵抗することによって、いつ心理的な圧迫を受けるかもしれないと言う恐怖が常にある、この恐怖感は平和に慣れた人にはわからないものだ、その話は又今度したいと思うが、ぶっちゃけ、平和のありがたさは知っていた方がイイよ、安部邦雄