今日は、人は二次情報に得てして振り回されがちという話。
年末のトラブルでもそんな状況があった。
出社した家来が、そのトラブルを私に報告した。
こういうトラブルが起き、現状はかくかくしかじかです。
おそらく問題はこうだと思いますので、それを解決をするためにはこういう手段が考えられます、などと言う。
そこで、私はあたりまえのようにこう指摘した。
現状はこうだという情報は、当事者から聞いたの?それとも伝聞?
当事者とはまだ私は話していません。
でも、誰某さんがそう言ってましたから、そうだと思います。
つまり、彼は二次情報だけで事態を把握し、そのための解決方法を考えていたと言うことになる。
私は、こういう時の間違いを嫌と言うほど経験してきた。
当事者になぜ聞かない。
二次情報にはすでにバイアスが二回かかっていると思うべきなのだ。
当事者の話、すなわち一次情報でさえ、すでにその人独自のバイアスがかかっている。
それに、又別の人のバイアスがかかって耳に入るのが二次情報だ。
そんなものだけで、自分の行動を決定するのはとんでもない間違いだ。
解決方法を考える前に、もっと当事者の話を聞け。
人の伝聞だけで、状況を把握できるなんて思うんじゃない。
しかし、人はこの二次情報だけで、事態が把握できると思い過ぎているような気がする。
誰某が言ったのだから、皆がそういっているのだから、何とか新聞に書いていたことだから、等々。
一次情報に接しない限り、本当の事実などわからないと言われている。
さらに、芥川の「藪の中」(黒沢明の『羅生門』の原作)を読めば、その一次情報でさえ、人によって、立場によって変わってくるというのがわかるはずだ。
二次情報なんて、どれほどの真実が含まれているかわかったものではない。
なのに、人は簡単に二次情報を信じ、己の次の行動を決定してしまいがちなのである。
最近では、イラク戦争の情報なども、すべて二次情報、三次情報であることに気づくだろう。
一次情報なんかには近付けないのだから、二次でも十分だと思うかもしれない。
ないよりましだという意見もあるだろう。
しかし、それを根拠に話を発展するのは著しく事実を歪曲することもあるということも強く認識してもらいたい。
テレビのニュース番組なんか、そんなあやふやな情報でよく次を予測できるものだと呆れ返ることもしばしば。
ま、何かが起きた以上、自分の知っていることだけで、何とか説明をしないといけないという気持ちはよくわかる。
しかし、それを後で検証してみればいいのだが、ほとんどが単なる揣摩臆測の類いであったことに気が付くはずだ。
テレビでも新聞でも、こういった情報がない時点での憶測がどれだけ当を得たものであったかを検証しないのがとても残念である。
繰り返すが、二次情報や三次情報で真実に近付くことは不可能である。
大事なのは一次情報、解決方法を考えるのは、それに接してからの話である。
てなわけで、話が少し長くなってしまった。
明日は、私の営業時代の具体的な例をあげて、この続きを書いてみたい。
今日から仕事はじめ、今年計画していイベントの打ち合わせがメインだったが、集まるのは二次情報ばかり、頑張って当事者に会いに行こうと言うのが今日の結論だった、しかし、大変そう、安部邦雄