放送局に入社した時、ある人にしつこいほど言われたのが、「放送局の人間はジャーナリストであることを忘れてはいけない。」ということだった。
ある人とは、当時の放送部長でその後幾度となく私に試練を与え続けた故白木龍雄氏だ。
白木氏が朝日新聞出身だったこともあったのだろうか、やたらジャーナリストの自覚を持てと叩き込まれた。
FM局は音楽局だからといって、ただ音楽を知っているとかアーチストに詳しいということだけで良しとしてはいけない。
日々動く情報を把握し、それを如何にリスナーに適格に還元するかを考えろ。
ジャーナリストの役目とは、まさにそれだというようなことだった。
ま、いわゆる音楽バカになるな、音楽オタクになるなという戒めだったのだろう。
そういう連中ばかりがのさばっている、放送局というのを毛嫌いしていたのかもしれない。
確かに、ジャーナリストの自覚を持った放送マンって、FM業界にはあまりいない。
ジャーナリストって何?ジャーナリズムって何?と聞き返しそうな連中ばかりが、放送局のディレクターやっているという感じがしないでもない。
視野が狭いというか、音楽は言葉を使わずに人々の心に訴えかけることができる手段でもあるということに無自覚な連中と言うか。
音楽に言葉は必ずしも要らないのです。
あなたの余計な注釈もいりません。
言葉で音楽を語る愚、あなたは冒していませんか?
ところで、ジャーナリズムとは何かだが、ある辞書にはこう書いてある。
言論・報道関係で、時事問題をとりあげ、解説し批判する事業、及びその持つ性格・勢力。
わかったような、わからないような。
別に時事問題だけではない。
時々刻々生まれる情報を、誤りなく報道し、またその報道を精査し、再構成したり、批判したりすることを大衆に代わって実践する役割。
それがジャーナリズム、ではないでしょうかね。
事実の把握、真実との対照、誤りの是正、あまねく伝播。
これらを使命として行うのがジャーナリストというわけだ。
だから、ジャーナリストとして一番恥じなければいけないのは、無知である。
無知の知も又真なりではあるが、無知を恥じることがその前提にあることを忘れてはいけない。
白木龍雄氏が私に本当に教えたかったのは何かは、今となってはわからない。
ただ、私は今もジャーナリスト的精神を持って毎日仕事をしているつもりだ。
これだけ、知識が多様化し、専門化してしまった今日、前にもまして望まれているのは、真のジャーナリストの出現だろう。
デマゴグーや、御用知識人なんかはくそくらえである。
FM局だからといって、音楽流してりゃいいなんてゆめ思うことなかれ、だ。
自分の人生に毎日負荷を与えること、それを忘れた時から人は堕落し、腐敗する、毎日何事も起きないことなんか望むのは死出の旅路そのものだ、安部邦雄