最近よく思うのだが、人間の歴史ってこれからいつまで続くのだろうか。
これから先一万年続けば、その間の出来事をどう整理するのだろう。
縄文時代が一万年続くのとは、わけが違う。
情報は更に共有化され、膨大なものになる。
記憶しておかなければならないことも今の比ではない。
考えてもみよ、日本史で今覚えなければならないのは、2000年あるかないかだ。
それが5倍の10000年になったら、そんなに覚えていられるだろうか。
もっとまん中の部分を希薄化し(或いは圧縮し)、どんどん忘れるしか手がなくなるのではないか。
といっても、1万年後、日本史という概念が存在しているかどうかは疑わしいが。
もし、国という概念が壊れ、全地球史みたいな話になっていると更に厄介である。
データベースだって、どこまで増え続ける気だ!とストライキを起こすかもしれない。
どうも、わたし的には、理解不能な世界が1万年後には来るのだろう。
しかしねえ、データとか情報とか増え続けることに対して、ただコンピュータの処理能力を上げることで対応しているだけでいいのだろうか。
テラバイトとかいう、とんでもない単位も、そのうち、何それ?そんな単位じゃ、何もできないじゃん、なんてことになるかも。
とにかく、このまま人類の歴史が続けばどうなるのだろう。
プロ野球の歴史も、スーパーボウルの歴史も、一体どこ迄行くのだ。
1000周年記念とか、5000周年記念とか、一体何をどうすればよいのだろう。
数が増えれば、人間の頭ではとても対応できない。
さて、どうするどうする、これからの私達。
ま、そんなに生きているわけではないので、私が心配していても仕方がないわけだが。
何億年先の地球滅亡の日を心配する前に、1000年後、2000年後でも、もっと心配すべきことが一杯あるというわけですね、安部邦雄