トラウマになっている体験、色々ある。
それを言葉にして、人に話せるようになれば、トラウマは消えると言われている。
外に向かって言えない事だから、それは澱のようになって心の底に沈澱して行くのだ。
沈澱して外から見えなくなったとしても、消えてしまったわけではない。
何かの折に、それは悪い記憶となって又浮かび上がって来るものだ。
50歳をすぎれば、きれいさっぱり忘れられるわけではない。
かえって、そんな記憶に未だに束縛される自分への嫌悪感が増したりする。
忘れてしまいたい事や どうしようもない寂しさに
包まれた時に 男は 酒を飲むのでしょう?♪
沈澱したものが浮かび上がりそうになると、それに酒を浴びせて、判断力を失わせる。
だが、そうやってただその場を糊塗することを繰り返していると、それ自体が己のパーソナリティを傷つけたりもするのだ。
忘れる為にできること、それは、己を究極的に失ってしまう事しかない。
一つを忘れようとして、すべてを忘れてしまう。
悲劇というか、喜劇というか。
何故か今夜は、酔いつぶれて眠る迄、飲みたい気分。
だが、毎日こんなことを続けていると、心だけではなく身体迄蝕まれるであろう。
河島英五が、そんな悩みの中で「酒と泪と男と女」を書いたのかどうかは知らない。
だが、酒場で酔いつぶれる男の悲しみは、ひしひしと今も伝わって来る。
私が会った英五さんは、男気あふれる元気な人だった。
どんなトラウマがあり、人に言えぬどんな悩みを持ったまま、病魔に倒れて行ったのだろうか。
忘れてしまいたいこと、今日もいくつかあった。
忘れられるかどうか、今はまだわからない。
ただ、無性に酒に酔いつぶれたいと思う。
あるいは、中島みゆきの言う「狼になりたい」という気分かも。
人の怨念とか、苛立ちとかを一日中感じていたら、まともな精神状態ではおれないのが普通の人間だろう、そういう立場にならざるをえない職業の人たちは大変だ、本当御苦労様、安部邦雄