田川律氏の「日本のフォーク&ロック史」を読みながら、ミュージシャンの志について考えている。
フォークにしてもロックにしても、かってはそれほどの商品性を持たなかったと田川氏は書く。
それが70年代に入り、もともと人間の素直な声だった歌が、商品化され、ミュージシャンも同時に商品化していったのだという。
音楽はそれを演奏するものも含めて商品となった。
作曲するもの、作詞するもの、編曲するもの、録音するもの、制作するもの、発売するもの、その流通に尽力するもの、それらすべてを含めて商品となった。
その商品が商品である為に、今、音楽業界は著作権を声高に主張しているのだろう。
そのスタートが70年代だったということだ。
30年経ち、音楽業界は行き詰まっている。
自分達を守る為に、法律を使い、役所を使い、コピーコントロール技術を使う。
30年経てば、そろそろ自分達の来し方を見つめなおすのが大事だ。
発展は、とりあえず30年で一服するとよく言われている。
私の出自である、FM業界もそうだ。
30年を越え、ここ数年停滞の一途である。
一度、リストラクション、リエンジニアリングが必要。
ゼロにして考え直すことしか、次世代での発展は望めないのではないか。
勿論、そんなことは簡単ではない。
一度作られた商品は、ぼろぼろになるまで作られ続けるものだ。
何故なら、そこに働く人間はそれしか作れないから。
音楽も又同じ。
今のやり方を変えること等、既得権者にはできない。
会社自体がイノベーターであったはずのソニーさえ、構造を根本的に変えるエネルギーはない。
今までに少しの改良を加えることで、次の時代の到来を静かに待とうというスタンスのようだ。
振り返って、ミュージシャンはどうだろう。
最初から、一生の仕事としてミュージシャンをめざす連中ってどれぐらいいるのか。
何となく、金になりそう、楽しい生き方ができそう、その為に自分を一時商品化するのも厭わない。
あくまで一時の商品化だと信じているのだろう。
だが、一度商品化されたものに、どんな主張があるというのか。
あんたは、そこで音楽を作っていればいい、歌っていればいい、演奏していればいい。
それで商品になるのだ、後は口出しせずに大人しく働け。
地位もお金も、売れれば保証される。
いつから、そんな商品化に満足するミュージシャンを産み出すようになったのか、我々音楽業界人は。
田川氏の言いたいことは、私にもよくわかる。
本当、今のミュージシャンって、一体どこへ行こうとしているのだろうか。
志、奈辺にありや。
芸術は常に金と交換されるものではない。
交換できるものばかり作って、何がアートなのだろう。
音楽を常に金と交換しようとする連中、その精神の貧困さに少しは気づくべきだと思うのだが。
ミュージシャンの生きざまって、いつからこんな虚飾にまみれたものになったのか、リッチになったものからは、初期のハングリーさが消え、後は怠惰な日常が誘惑し手招きするだけかも、ああ、私にもそんな手招きがほしい、、?安部邦雄