人はパンのみに生くるにあらず、聖書の一節である。
又こうも言う。
パン無くしては 生きること叶わず。
パンにゼニを当てはめても、意味は殆ど変わらないような気がする。
ゼニはいらないというのは、パンはいらないといっているのと同じ。
じゃあ、どうやって生きるつもり?
だけど、そればかり考えて生きていてはいけない。
営業マンなんて、その意味ではとんでもない存在だ。
毎日、毎日、金のことばかり考えている。
そして一番金を集めることができたものが勝ちなのだ。
何に使うかまでは考えさせない。
税務署もそうかもしれない。
税金を払えと言って、毎日毎日金集め。
誰も、正直に税金なんか払いたくないだろうという先入観で、国民をどんどん追い詰めて行く。
悲しいかな、税務署員はそれがどう使われているかには口出せない。
警察の遊興費になっていても、政治家の賄賂になっていても、今日もせっせと金集め。
働きアリというか、働き蜂というか。
金をたくさん持てば勝ちだなんて、誰が言い出したのか。
権力の象徴、それが金。
金を集めれば、権力を少しだけ手に入れることができると思っているのだろう。
確かに、営業マンだと金さえちゃんと集めていれば、少々の自分勝手は許される。
だからゼニを求めることも社会生活を問題なく過ごすには大事な要素だ。
今、ゼニを持たないものは、どうしたらいいのか。
誰かにすがるしか生きていけない。
山の中で隠とん生活ということもあるかもしれないが、日本ならどんな場所であれ、土地の所有者がおり、使用料を払えというだろう。
海に屋形みたいなものを浮かべれば、公共スペースの不法占拠などと言って、条例改正しても追い出されたりする。
追い出されない為に、金を持つしかない。
幸せな生活をするためには、金を集めるしかない。
ゼニの無い人生は、ただ惨めだ。
社会のスタートラインにすら立たせてもらえないかもしれない。
昨年なくなった漫画家の青木雄二氏、ゼニの考現学なんてのを繰り返し本にしていた、金をしこたま稼いだ氏は、何度も資本主義はあかん、共産主義や!と叫んでいた、人の倍以上稼いだ人は、何を言っても許されるというわけか、安部邦雄