最近の私、少々無理し過ぎではないかと思わないでもない。
問題意識を持つのはいいとしても、それらすべてに何らかのソリューションを作ろうなんて無茶ではないか。
今年はあれをやります、これをやりますと並べて、それでできなかったらどうするの?
それよりも、もっと足下を見つめながら、できることからコツコツやったほうがいいのでは。
しかしねえ、問題意識を持って、それに何らかの解答を見つけだそうとするのは当たり前ではないのか。
問題意識を持たないのなら、別に解答を考える必要はないだろう。
だけど、一度知ってしまったものは、何とかするのが常識だと思う。
知っているが、何もしないし考えない。
いわゆる見て見ぬふり、臭いものにふた。
思考停止して、後はなるようになれでは、あんたは一体何のために脳を持っているのだと言いたくなるのだが。
しかしなあ、自分が跳ぶハードルを上げ過ぎるのも滑稽ではないか。
そりゃあ、実力があればいいよ。
オリンピックで、いきなり跳べもしない高さから挑戦を始めるようなもの。
それじゃバカ、嬉しがり以外の何ものでもないじゃないか。
確かにね、そんなバカとか嬉しがりって、本当の実力者の100倍ぐらいはいそうだものな。
己の滑稽さを自覚出来ない連中の仲間入りとは思われたくないし。
実力というか、能力というか、自分が思うほど、高いレベルじゃないというのが普通のような気もする。
ハードルを上げたのはいいが、跳ぶのは怖いというのかな。
その前にエントリーするための、参加費も払えないというか・・。
問題意識は人の倍以上あっても、手を上げる権利すら与えられないかもしれない。
先生ー!ハーイ!ハーイ!
手を上げているんだけどなあ。
先生なんか、一体どこにいるんだ?
先達はあらまほしきことなれ、と兼好法師は「徒然草」で書いた、確かにねえ、一人で道を探すより、誰かの指導でそこに行く方が合理的だよなあ、誰かいないかなあ、安部邦雄