学生時代によく使った言葉がある。
全共闘運動の渦中にいたこともあるのだろうが、特有の言葉というのがよくあった。
間の手のように言う、「ナンセンス!」「異議なし!」。
本日の集会に結集された、全国の学生諸君!(異議なし!)
政府は、米帝と結託し、帝国主義的侵略を企てようとしている!(ナンセンス!ナンセンス!)
少し距離を置いて聞くと、何が異議なしだ、何がナンセンスだと思われるだろうが、何も考えずにただ叫んでいたのが当時の学生だった。
行動なき理論は無、理論なき行動は死、なんて言葉はかっこいいが、下手をするとヒロイズムの極致だ。
造反有理なんて言葉もよく使われた。
権力に対して造反するのは、常に正当な理由があるのだという意味だったか。
弁証法で言う、正、反、合を、階級闘争に応用したのだろう。
造反は止揚(アウフヘーベン)への点火であるというか何というか。
何をわけわかんないことを言っているのだろう。
学生時代に、仲間内でよく使ったのが、表題の「言えた義理か」というのと「だから、言ったじゃないか」の二つだ。
言えた義理か、というのは、さも自分がすべてを理解したように他人を批判する奴に投げかけた言葉だ。
偉そうに言うんじゃない、お前だって、同じ穴のムジナじゃないか、というニュアンスで、「言えた義理か」を使う。
最近では、週刊文春の真紀子氏長女プライバシー侵害記事。
出版差止めは言論の自由の侵害だなどと反論しているが、まさに、そんなことを言えた義理か、である。
一見、正当性があるようだが、そんなことお前が言う資格があるのかという意味である。
人は神ではない。
普段から、他人から責められることの無いような生き方ができているのか、自問しないといけない。
辻元清美さんも、鈴木宗男氏を「疑惑の総合商社だ」などと追求していたのに、陰で秘書給与を横領していた。
言っていることは立派だが、おまえがそんなこと言えた義理か。
お前達の中で罪なきもの、この女に石を投げよ、とかいうのも聖書にあったような。
人を断罪できる立場か、おのれが!
さて、もう一つの言葉、「だから、言ったじゃないか。」
これを書いていると、日付けが変わってしまう。
それは又、明日か明後日。
だから、言ったじゃないの?♪
何だかんだと業務をこなしていると、あっという間にこんな時間、これからフロムさんの大きなお世話も書きに行かないと、早く家に帰りたい?♪、安部邦雄