昨日、自分が他人を責められないばかりに損をすることが多かったと書いた。
今日は、その中の一つを御紹介する。
実は、この話は今迄誰にも言ったことはない。
少しトラウマになっていることでもあったためか、わざわざ言うことには今も躊躇いはある。
でも、書いてみる。
私が中学校時代、ブラスバンド部であったことは前に書いたと思う。
中学一年の時は、クラリネット担当。
普通は第三クラリネット、第二クラリネットが新入生のパートだった。
しかし、どういうわけか、私は抜群にクラリネットがうまかった。
単調な、第二とか第三のパートなんかすぐに馬鹿馬鹿しくてやってられなくなった。
で、勝手に第一クラリネット、つまり主旋律ばかり練習。
簡単には出ない高音も、一年生の夏休みぐらいには苦もなく鳴らすことができるようになっていた。
秋ぐらいには、二年生を差し置いて三年生と一緒に第一クラリネット奏者になるぐらいだった。
こんな経験は本当はよくないと最近なら思う。
増長してしまうのだ。
俺はお前達とは違うのだという勝手な思い込み。
イヤな子供だった。
扱いにくい若造だった。
どうして、あんな生き方しかできなかったのかと慚愧に耐えぬ。
さて、あっという間にクラリネットの第一人者みたいになってしまった私、何かもっと他の楽器がしたくなった。
その中で一番やりたかったのが、テナーサックス。
かっこいい、運動会なんかでは花形だと私は思っていた。
中学にはピカピカのテナーサックスが一台だけあった。
何が何でも、サックスを吹きたいと願い、その旨顧問の先生に直訴。
先生は、まあお前なら任せられるかなと言って、二年になってすぐテナーサックス奏者に抜てきされた。
そして、しばらくすると気づくのだ。
これは私にとっては、失敗への序章だったことを。
てなわけで、この続きは又明日。
生意気だった私は、当時のブラバンの部長から、再々制裁を受けた、別に殴られるわけではなかったが、特訓と称して一人裸足で校舎の中を行進させられたりした、お前みたいな奴は除名だと何度言われたことか、中学一年で初めて除名の意味を知らされたわけだ、安部邦雄