長崎の少女殺人事件、毎日テレビや新聞で何だかんだと解説がされているが、結局わけわからないという結論に。
一番のネックは、少女がネットにはまった為に殺人を犯したということにありそうだ。
大人のほとんどが、ネットのことをわかっていないということが露呈されている。
ネットは怖いから近付いてはいけないというしかない。
子供達は何の違和感もなくネットで遊んでいるのに、大人はキーボードを触ることもできない。
ネットで自由に泳ぎ回る子供達、それを浜辺で見ている大人という図式。
自分も泳げばいいのにと思うが、どうも泳ぐのは難しそうなので尻込みしているのだろう。
かといって、泳げないというのもカッコ悪いという気持ちかもしれない。
ネットの海に近付いてはいけませんというしかない。
確かに、この海はあまりにも広く、あまりにも深い。
足をとられてもがく子供もできてくるだろう。
でも、泳げない大人には、その子供をどう助けていいかわからない。
余りにも速く、情報革命が押し寄せてきて、制度が追いついていない。
かといって、子供にネットの海で泳ぐなともいえない。
何しろ、ネットは次世代の強力なメディアなのだ。
今さら、社会は後ろへ戻れない。
言えることは、とにかく少々無理しても大人達がネットで泳げるようになるしかないだろう。
携帯電話を介してもいいし、テレビ番組を活用してもいい。
政府は、インフラばかり整備して、魂を入れるのが本当に下手だ。
ハコモノ行政と同じ。
外側を作るすべは心得ていても、中味までイメージが届かない。
このまま、ネットの持つ集団的無意識にひきずられていていいのだろうか。
最近、自分の中の無意識にも、不安を感じずにはいられない私である。
心理学者がテレビに出てきて、中途半端な解説をしているのが気になる、日本の心理学者、たよりないことこの上ない、世界でも日本の心理学のレベル低すぎ、教育心理学を専攻した私の嘆きである、安部邦雄