東京に移り住んで15年。
最初は江戸川区の葛西のマンションの4DK、独身には広すぎる部屋だった。
環七(かんなな)沿いにあり、一階にはマルエツというスーパーがあった。
ただ当時は、7時には店じまい。
会社から戻ってくると、いつも閉まっていた。
今なら便利なのに、と思うのだが。
私の部屋は13階にあり、晴れた日は富士山も見えるのだが、そんな高いところに住んだのは初めてで、正直怖かった。
しかも、住んで三日後に震度3の地震が。
地震に慣れていない大阪人には、心穏やかでないひとときだった。
高いところは揺れもひどいし・・。
裏には、7階建ての飲み屋ビルがあった。
1階から7階までみんな居酒屋にバーにクラブ。
遅くまで、男と女の嬌声が響いていた。
たまに、酔っぱらいがエレベータの非常ベルを鳴らす。
けたたしい警告音が深夜の街にこだまする。
しかも、この非常ベル、管理人が来ないと止まらない。
深夜に管理人などそばにいないので、いつも駆けつけるのはパトカーと警官。
2時頃、この非常ベルで起こされるのはたまらなかった。
すぐにオフにできるような構造にしろと要望したが、それだと肝心な時に役に立たないらしい。
ま、そうだろう、鳴らされても相手が切ればそれまでなのだから。
環七は、東京一の環状幹線道路だ。
ひっきりなしにトラックが走り、周囲は排ガスだらけ。
夏になると、毎年必ず暴走族が現れる。
部屋は4DKと言ったが、結局環七側の2部屋はほとんど使い物にならない。
早い話2DKと大して変わらない。
しかも、環七に面していない方には、その飲み屋ビルが。
とんでもないマンションだったと今では思う。
とはいえ、江戸川区というのは、子供さんのおられる人にはとても住みやすいところである。
東京一、社会福祉関係が充実しているのだと、商工会議所の人たちも言っておられた。
近くにはディズニーランドもあるし、海浜公園もあって、マグロが回遊していたりする。
ま、独身者には、今一つではあるが。
そうそう、駅の前には地下鉄博物館もあった。
東京の地下鉄を学ぶにはとてもいいところだったが、住んでいるものにとっては何の恩恵もなし、だった。
それから、杉並区の久我山に移るのだが、その話は又明日。
ヒマネタになってしまったが、たまにはお許しを。
上柴先生からメールいただく、仕事が不調だの鬱やの体調がどうのこうのといったものよりも「安部邦雄」の観点から世相等を見るようなものをもっと読みたいなあ、だそうです、おそらく今日も落第かな、安部邦雄