今日、地下鉄大江戸線に乗ったら、目の前に警備員が直立不動で立っていた。
場所を移動するために地下鉄に乗っているのではなく、車内で何か異常が起きないか見張っているという風情だった。
え?地下鉄の中も最近物騒になってきた?
地下鉄サリン事件を思い出してしまった。
東京以外の人にはピンとこないかもしれないが、いつも東京の地下鉄に乗っているものとしては、あの事件はちょっとトラウマになりそうな種類のものではあった。
その日、地下鉄にのっていても、誰が何をしでかすかわからないという気分で落ち着かないこと甚だしい。
乗客も周囲に変な人物がいないか、やばそうな手荷物が置いてないか、あたりを不安げにさぐっているという様子だった。
その時のイメージと直立不動のガードマンが重なった。
しかし、こんな電車の中で、そんな無表情な顔で立っていなくてもいいのではと思わないでもない。
で、これ、やっぱり石原知事の肝いり?
あの人、最近何やるかわからない。
都民の安全のために、変な奴には断固たる態度に出るらしい。
学校の教員も例外ではない。
国旗に起立しない、君が代を歌わない生徒がいたら、その先生を処罰するなんてのもその典型。
何か、家族を人質にとって脅迫する強盗みたいではないか。
都立大学の教授たちへも、危険思想を持っていそうな人物はパージするという意志を示していたようだし、何か石原知事ちょっと被害妄想に走り過ぎではと思ってしまう。
悪いけど、地下鉄内のガードマンはいらん。
正直邪魔、うさんくさい、気分悪い。
だが、そんなことは言ってられない、どこに韓国のスリ窃盗団がいるかもしれないというのも理解はできるが。
かくて監視社会は少しずつ歩みを始めているのだろう。
最近の東京、至る所にカメラの監視の目が。
誰がどこで何をしたか、あっという間にどこかの監視センターに集まりそうな気もする。
オーウェルの「1984」、そろそろ読み返してみないといけない。
管理社会、監視社会は、人々の安全、安心のためには必要なのかもしれないが、このままでは歯止めがかからない。
そう、問題は、暴走した時の歯止め。
意外と難しいはず、ちょっとイマジネーションの働く人間にはわかると思う。
今も、事務所でこうやって未来社会の不安を書きこんでいる私を監視している連中もいるかもしれない。
何しろ、社会はネットで結ばれている。
私なんか、毎日餌食になっているようなものである。
昨日のルータ事故、復旧はしたものの原因はわからないまま、「とにかく直りました」と管理人は言うが、次起こらない保証はない、戦争もまた同じようなものだが、安部邦雄