人の心が重いと思ったとき、私のできることは沈黙。
もし、その人との会話が続いていたなら、適当に切り上げてその場を去るべきだ。
それができないなら、結局自分もその人と同じぐらい心が重くなり、辛くなるだけなのだと思う。
人にやさしくしようと思えば、自分が傷付くのを覚悟すべきだろう。
人の傷を背負い込むだけ、自分が辛くなるのは必定だ。
映画「グリーンマイル」の囚人の道はごめんだ。
そんな立派な人間になって、永遠に傷つくのは耐えられない。
人を救いたいと思うなら、できるだけ自分を安全地帯に置くべきなのではないか。
病人の中に我が身を投げ入れ、結局自分も伝染してしまうなら、一体何のためにそんなことをしたのかということになる。
傷つきうめく人のそばにいけば、その傷は自分にも伝染する。
そして、一緒にうめいたとて、何か救われることがあるだろうか。
困っている人を救うために、私財を投げ打ったところで何になる。
むしろ、自分だけでも傷つかず、困らず、人々の幸せを祈るというスタンスに身を置くべきではないか。
最近、そんな気がしてきた。
ただ、やさしいだけではだめだ。
自分だけでも身体も心も健全であるべきであって、無理に人の苦しみに同調することはない。
どこかの国で戦争があっても、その民を自分の身体で救おうなんて考えない方がいい。
私は私のままで変わらずにいることが大事。
そして祈る平和。
身勝手と言われようともである。
50をすぎて初めて気づいたことが意外にある、今までの自分の生き方は正しかったのか、人との接し方は正しかったのか、今から自分の生き方を修正できるのか、その答えは残りの人生の中にある、安部邦雄