ええもん、高いのはあたりまえ?♪
ええもん、安いのがイズミヤ?♪
少し前のスーパー「イズミヤ」のコマーシャルソングである。
当時はまだ泉屋という商号を使っていたはずだ。
上のCMソングは、実に大阪風の作りであることから、まだイズミヤは大阪中心の頃だったというのが推測される。
ええもん、と言われても、ほとんどの地方の人はピンと来ないのではと思う。
ええもん、というのは関西人には二つのニュアンスがある。
一つは、CMソングで使われている、いいもの(良いもの)というニュアンス。
もう一つは、東映の時代劇を見ながら覚えたニュアンスで、善い者(正義の味方)というニュアンスである。
おれは、ええもん、お前は悪もん、なんていう風に使った。
東千代之介とか、片岡千恵蔵などがええもんで、月形龍之介とか山形勲などが悪もんということになる。
ええし、なんて言葉もあった。
ええしの子とか、ええしの家、という風に使った。
いいところの子、いいところの家という意味で、金持だったり、上流階級というニュアンスである。
貧乏人の子であった私には、ええしの子が実際にどんな生活をしていたのかよく知らない。
ただ、皆があの子はええしの子だというから、そんなのものかなと思っていただけだ。
髪は短く刈り上げた、いわゆる坊ちゃん刈り、清潔でこざっぱりした服装をし、買い食いが禁止されているというイメージか。
さて、ええもん安いイズミヤだが、大阪の店は基本的にいいものをリーズナブルな値段で売ると言うのを基本にしているようだ。
とりわけ、食い物屋さんなんかは典型である。
今日、ある大阪の店で昼飯を食いながら気づいたことがあった。
まず、値段が安くて、そこそこうまい。
その上、量がたっぷりある。
嫌なら、最初で少なめにしてと言わない限り、1食半分が出てきかねない。
で、これが新発見なのだが、そんな好ましい店なのに、客が満員ではないということ。
おそらく東京でこういう店があれば、お昼時は行列ができていることだろう。
行列のできていない安い店は、東京ではおしなべてマズイ。
安くてうまい店には行列はつきもの、しかもそのイメージが成功した店を象徴しているようだ。
だが、大阪の店に行列が並ぶことはあまりない。
なにしろ、どの店も安くてうまいというのが普通。
食い物屋なんかいくらでもあるから、どの店でもそれほどの当たり外れがない。
だから、客は適当にばらつく。
安くてうまい店でも、決して満員にはならないということになるわけだ。
今日入った店も、中は暗く、従業員は少なく、サービスも完璧ではなかったが、出された料理は抜群にうまかった。
安くてうまければ、客扱いが少々悪くても許す。
当たり前だ、私はうまい飯を食いに入っているのである。
サービスを求めて入っているわけではない。
大阪の合理的精神、こういうところに息づいていると思った次第だ。
昨日はざるうどんが昼食、ダブルでも値段は一緒だからそれにしなさいと店の人、おかげで胃の中はうどんで一杯、今日はごはんがお櫃ごともって来られた、勝手に入れて食えという、おかげで胃の中はごはんで一杯、安部邦雄